三別抄の乱
13世紀初め、チンギス=ハンが巨大なモンゴル帝国をきずきました。その孫フビライは国号を元と改め、南宋を圧迫する一方、朝鮮半島の高麗を服属させました。やがてフビライは日本にも手をのばし、1268年には、朝貢を求める国書を高麗使を通じて日本に送りました。執権北条時宗がこれを拒絶すると、軍事的緊張が走りましたが、すぐには戦いになりませんでした。というのは、高麗で三別抄とよばれる軍隊が、江華島や済州島を拠点に抵抗していたからです。おかげで日本は防備を整える時間を稼ぐことができたのです。三別抄の乱が鎮圧されたのが1273年、元が高麗軍とともに日本を襲ったのが1274年でした。この元・高麗軍が暴風雨のために敗れたことはよく知られているとおりです。
ところで、大河ドラマを見た生徒から「用語集に載ってないんですが、北条時輔は出ますか?」と聞かれることがあります。残念ながらめったに問われません。僕が知っている限りでは、1997年立教大(法)で一度出題されただけです。「大は小をかねるから」と覚えるのも一興ですが、もっと他に目を向けるべきでしょう。日本史好きなのに模試で高得点が取れない人は、もったいない脳みその使い方をしてるんじゃないかと思います。今は受験勉強に徹しましょう。
出題例
服属後も高麗の精鋭部隊が、江華島や耽羅(済州島)を根拠地として、1273年まで元に対して抵抗を続けた。その部隊を何というか。
00年九州産業大(経ほか)
解答:三別抄
出題データ
96年東京女子大(文理)、97年早稲田大(法)、97年立命館大(産社)、98年早稲田大(教)、00年慶應大(法)、01年駒澤大(仏教・文ほか)。