県犬養三千代
奈良時代は政権担当者の変遷を骨組みに、いろんな政策・事件を肉づけして学習すべきです。政権担当者とは、藤原不比等→長屋王→藤原四家→橘諸兄→藤原仲麻呂→道鏡→藤原百川です。今日はこのうちの、藤原四家、すなわち藤原四兄弟と橘諸兄の不思議な関係について考えてみましょう。
藤原不比等を父にもつ四兄弟は、自身の出世をはかって妹の藤原光明子を聖武天皇の皇后に立てようとしました。これに対して皇族の長屋王は、「皇后は天皇家から出すものである」と反対しました。このため長屋王は四兄弟によって襲われ、自殺に追い込まれました。729年の長屋王の変です。
事件後、四兄弟は光明子の立后を成功させて勢力を伸ばしたものの、当時流行していた天然痘にかかり、737年に4人とも亡くなってしまいました。因果応報でしょうか。さて、ついで政権をにぎったのが皇族出身の橘諸兄ですが、なんとこちらも光明子のお兄さんなのです。どういう関係なのか説明しましょう。
橘諸兄の母である県犬養三千代は、最初、美努王(みのおう)と結婚して葛城王(のちの橘諸兄)を生みました。その後、美努王が亡くなると藤原不比等と再婚し、今度は光明子を生んだのです。藤原不比等は別の女性との間に四兄弟をもうけていたので、橘諸兄と光明子が異父兄妹、藤原四兄弟と光明子は異母兄妹ということになったのです。
ところで、この県犬養三千代は、橘三千代とも表記します。このため入試では選択問題で出題されることが多く、「みちよ」さえ覚えていれば正解できます。それならあだ名で呼んで覚えておくのがよいでしょう。みっちゃん、と。
出題例
次のうち光明皇后の母はどれか。
(イ)橘三千代 (ロ)額田王 (ハ)和気広虫
97年青山学院大(文−英米文ほか)
解答:(イ)
出題データ
91年成城大(経済)。
95年上智大(文)、98年立命館大(文)、99年法政大(法)では正誤問題で出題。