南樺太への旅(1)

8月下旬にサハリン(樺太)に行ってきました。この島の南半分は一時期日本領だったことがあります。日露戦争後の1905年から終戦の1945年までの40年間です。その時の国境北緯50度をめざして北上するツアーに参加したのです。

ことの発端は今年3月に参加したシルクロードツアーでした。そこで知り合いになった方がサハリンに20回くらい行ったことがあると言うのに驚いて「機会があったら同行したいです!」とせがんだのです。そうしたらその方がガイドのツアーが立ち上がってしまい、「これは行くしかない!」と申し込んだわけです。

物好きでなければ参加しないツアーで申込者が既定の人数に届かなかったらしいのですが、観光会社が赤字覚悟で実施してくれました。実際、集まった参加者はオタクばかりで、今まで参加したツアーとはかなり毛色の異なるツアーになりました。

ちなみにどんなオタクがいたかというと、
・国境オタク(男性)
・離島オタク(男性)
・飛行機オタク(女性)
・北方少数民族オタク(女性)
という具合で、僕なぞ凡人すぎて口あんぐり状態でした。かといって嫌な感じな人はおらず、終始笑いの絶えない旅行でした。

どんなところがあったのか写真で紹介していきます。


ユジノサハリンスクにそびえ立つレーニン像です。手前のご老人(日本人です)は終戦時にここにいたそうです。終戦というとふつう1945年8月15日をさしますが、その後もサハリンではソ連軍と日本軍の戦闘が続いていて、当時12歳だったこのご老人は1945年8月22日にここで空襲に遭ったのです。



神社の跡です。今にも倒れそうな鳥居ですが「皇紀二千六百年」とはっきり刻まれていますね。1940年のことです。


バスの中から撮影しました。日本領時代に敷かれた鉄道です。ちなみにこれは樺太東岸で、間宮林蔵は樺太の地図を作成するためにこの沿岸を測量したとのことです。


ポロナイスク郷土博物館の庭には間宮林蔵のプレートもありました。


王子製紙の工場跡です。ほとんど廃墟と化していますが、一部は変電所として使われていました。飛行機オタクの女性が「日本人はこういうの見るとすぐ『ラピュタみたい』って言うけど、あれは作り物! これは浪漫なんだよ!!!」って名言吐いてました(笑)。ロ、ロマンなんだ……。
本人いわく廃墟オタクではないとのことですが、いやー相当なものだと思います。

明日に続きます。

2時間でおさらいできる日本史 近・現代史篇