折りたたみ自転車でまわる、受験日本史スポット−鳥取・島根の旅(4)−

JRの出雲市駅から出雲大社まで10kmほど離れています。例によって自転車で行くわけですが、ちょうど向かい風になってしまったため、えらい時間をくってしまいました。ふつうの観光客ならまっ先に出雲大社なのでしょうけれど、こちらは勉強で来ているのでそこには見向きもせずに、その隣にある古代出雲歴史博物館に入りました。

この地域は遺跡もたくさんありますが、神話もあるため、じつにたくさんのコンテンツを持つ博物館となっていました。お昼の休憩時点で、展示物の半分も見終えていないことを知ったときには途方に暮れました。

ありがたいことに写真撮影が許されていたので(フラッシュは不可)、充電が切れるのを心配するほどたくさん撮ってきました。

出雲大社復元模型

まず最初に目に入ったのは、昔の出雲大社を推定した模型です。現在の出雲大社とは違って、異常な高さの建物だった可能性があるのです。いくつかの説があるため、それに合わせて模型を作ったそうです。実際にこんな高い階段を歩かされたら、かなり怖いんじゃないかと思うのですが、どうだったのでしょうか。

昨日のブログで紹介した荒神谷遺跡の銅剣の次には、加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸が展示されていました。

加茂岩倉遺跡の銅鐸

当然、これももともとはキンキラキンだったわけですが、むしろ錆びて青くなっているほうが美しく見えてしまいます。照明のあて方もうまいのでしょう。しかし無残なのは、真ん中の壊れた銅鐸です。この銅鐸は、農道工事中に偶然発見されたもので、そのときに重機で壊してしまったんだそうです。しかも、銅鐸発見の知らせを聞いた専門家が現場に駆けつけたときには、すでにほとんどの銅鐸が掘り出された後だったと! わずかに残っていたものを掘り出すところを再現したのが、下の写真です。

加茂岩倉遺跡の銅鐸出土状況

そして次は、卑弥呼がもらった銅鏡という説もある三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)です。

三角縁神獣鏡

京都府の椿井大塚山古墳から30数枚出土したことが有名ですが、これは島根県の神原神社古墳出土のものです。円形に文字が書かれているのはちょっと見にくいでしょうか。左の方に「景初三年」と書いてあるのです。

この博物館のよさの一つに、たくさんのジオラマ展示があります。たとえ推測であっても、出土した遺物がどう使われていたかを再現することは、一般の人が理解するのには非常に大きな手助けとなります。僕の場合、そもそもジオラマが好きなので、よけいにクルわけですが。

いくつかあったジオラマのうち2つだけ紹介します。

須恵器を焼くのぼり窯

これは5世紀から作られるようになった須恵器生産の様子です。斜面に作られている窯(かま)を「のぼり窯」と言います。「窯」の字が難しいですよね?

たたら製鉄

こちらは江戸時代の「たたら製鉄」です。出雲で採れる砂鉄を使った製鉄で、火力を強めるために、左右の二人の男性が「たたら」というふいご(空気ポンプ)を踏んで酸素を供給しているのです。ここには「たたら」の実物も展示してあり、踏めるようになっていました。もちろん乗って踏みましたが、ちょっと恥ずかしくて写真は頼めませんでした。

ところでこの日、博物館内にはそわそわしている空気が漂っていました。どうやら、翌日から始まる特別展「平成の大遷宮『出雲大社展』」のせいのようです。というわけで、翌日もまたここに来ました。ただそちらは受験に関係しないので、とくに紹介はしません。

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