南樺太への旅(2)

1905年のポーツマス条約で南樺太が日本領となっても、そこには古くからいる先住民だけでなくロシア人も住んでいたんだそうです。日本の統治に従う必要はあったそうですが。そしてそこに日本の民間人、朝鮮人も移り住むようになりました。
太平洋戦争末期の1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約を無視して日本に宣戦布告しました。そして満州、南樺太などに侵攻してきました。


サハリンにはアイヌとは別の少数民族が住んでいました。彼らの中には日ソ間の戦争の犠牲になった人も多かったそうです。彼らを慰霊するサハリン先住民族戦没者慰霊碑です。



旧日本軍師団跡だそうです。人が住んでるのか住んでないのかわからないような古い家が建ち並んでいました。


関東大震災の時に日本で朝鮮人が虐殺された話は有名ですが、戦時中のサハリンでも同じようなことがありました。樺太在住の朝鮮人がソ連軍スパイとされて日本の憲兵によって虐殺されたのです。これはその慰霊碑です。


いっぽうこちらは樺太・千島戦没者慰霊碑です。戦争で犠牲となった日ソ両国のすべての人びとを慰霊しています。


北緯50度の国境線をまたいでいます。


ソ連軍の侵攻に備えて作られた日本軍のトーチカです。この中に日本兵が潜り込んで小さな穴からソ連兵を銃撃しました。もっともソ連軍は時速50kmで走る戦車で攻めてきたので、到底かなわなかったのです。

その戦車がこちら。右下にハトがいるので大きさを想像してみてください。

こちらは日本軍の戦車です。

カワイイ……なわけないって!

でる日講義-つながる近現代-

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