11月でも蒸し暑い沖縄の旅(1)

レギュラー授業の太平洋戦争に間に合うようにと、先日沖縄に行ってきました。
前回は自転車で沖縄一周を試みたもののインフルエンザで挫折したので、もう欲張りません(勝つまでは)。戦争遺跡とグスクめぐりに専念しました。なにしろ前回は戦争遺跡はおろか、首里城にすら行けませんでしたから。

というわけで、まずは首里城に向かいました。空港から自転車を走らせたのですが、例によって城は山の上です。そのうえ雨がパラついていたので、のっけから汗をかかされました。気温が20度台後半なんですよ。11月だというのに! ここは南国です。

首里城の模型
まずはジオラマで首里城全体を把握します。

右下に見える道を左上に上がって行きます。最初に見える赤い門が「守礼門(しゅれいもん)」です。これをくぐって中央に見える赤い建物群(正殿)に向かって進みます。

守礼門1
守礼門2
守礼門です。「守礼之国(しゅれいのくに)」と書いた額がかかげられています。


沖縄の城はグスクとよばれ、日本で戦国大名が城をつくるはるか前からこんな立派な石垣を築いていました。この曲線が中国風ですね。


正殿には日本のお寺にあるような鐘がありました。現在城内にあるのはレプリカです。本物は沖縄県立博物館にありました。そこには表面の銘文を写し取ったものも展示されていました。こちらです。

注目は2行目下部から3行目にかけての「万国津梁」の部分です。さすがに入試では出されませんが、15世紀半ばの琉球王国らしさが表れているものとして有名です。「船を操って世界の架け橋とならん」と言っているのです。当時の沖縄は中継貿易をさかんにおこなっていましたね。

首里城の枯山水
正殿の中には庭がありました。これも一種の枯山水庭園です。石は沖縄ならではの石灰岩、植物もこれまた沖縄らしくソテツが植えられています。ただ、残念なことにこれは復元されたものです。実は沖縄戦で、日本軍が陣取っていた首里城は米軍に破壊されてしまったのです。そのため、先ほどの守礼門もこの正殿も庭も、いずれも戦後に作り直されました。首里城のガイドの方に聞いたところ、写真をもとに石を削って形を整えたとのことでした。

サンゴの砂利
庭の一部にはこんな砂利がありました。細長い形が変わっていると思いませんか? これ、実はサンゴです。沖縄はもともとサンゴが発達して島となったところなので、こんな砂利があるのです。沖縄の地盤には石灰岩が多く、そのカルシウム成分のおかげで旧石器時代の人骨がのこったわけです。港川人骨ですね。

※沖縄史はこちらの映像教材で学べます。
『でる日講義-アラカルト-』
頻出テーマの沖縄・北海道・女性史を、直前期に総ざらえしてみませんか。