11月でも蒸し暑い沖縄の旅(3)

太平洋戦争の際、沖縄の日本軍司令部は首里城の地下にありました。その内部を撮影したNHKの映像がこちらにあります。

アメリカ軍が沖縄本島に上陸したのは1945年4月1日。米軍は首里城を徹底的に攻撃します。沖縄の日本軍は上層部から時間稼ぎをすることを命じられていたため持久戦でねばりますが、5月には撤退を余儀なくされます。司令部はここを引き払って南部に移っていきました。日本兵と住民たちも後退していくわけですが、その時に使われたのが洞窟の「ガマ」です。石灰岩層でできた沖縄には自然洞窟が無数にあるので、それを避難所としたわけです。そこでおこった悲劇についてはとても一言では伝えられません。実にさまざまな死に方がありました。

沖縄の3日目はこうした戦争遺跡めぐりをしました。自転車だと移動時間が読めないためレンタカーを借りて見学に徹しました。最初に向かったのは「ひめゆりの塔」です。沖縄戦の際、女学校の生徒たちが従軍看護要員として動員されました。その部隊の一つに「ひめゆり隊」があり、彼女たちが大勢亡くなったのがこの場所でした。
ひめゆりの塔のガマ
この黒いところがガマの入り口です。

ひめゆり平和祈念資料館
ここには「ひめゆり平和祈念資料館」があって、ひめゆり隊について詳しく知ることができます。ここの良さは、ひめゆり隊の一人一人の思いをできるだけ伝えようとしているところです。僕などはすでに書籍などで沖縄戦の知識を持っているわけですが、それは全体としての動きにすぎません。一人一人がどうだったかなど、とても追い切れないので見ようともしていませんでした。それがここでは大きなスクリーンに生き残った人たちが語る映像をずーっと流しており、思わず見入ってしまいました。引率していた先生たちの言動も紹介していたのも印象的です。追い詰められたら死ぬことを勧めていた先生もいれば、最後の最後には逃げることを勧めた先生もいました。

館内は撮影禁止だったので写真がありません。「ひめゆり平和祈念資料館」の公式サイトの「ひめゆりを学ぶ」を見ると、沖縄戦とひめゆり隊のことがだいたいわかります。

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