あいかわらずの日本史漬けと、西遷御家人

★早大受験生にお知らせ★
来週から始まる早大入試の解答速報を、このブログ上で行います。
すぐ答えが出ない問題もあるかもしれませんが、
当日の夜のうちにはアップしようと思っています。
翌日の試験に役立ててください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★昨日のエントリーのフォローです★
立教大法学部の難問で「朋誠堂喜三二」というのを紹介しましたが、
どうもガセだったようです。
Oさんから、大あわてのメールが届きました。

<Oさん>
朋誠堂っての違いました、「鸚鵡返文武二道」の作者だったんで結局普通に恋川春町でした、ごめんなさいm(_ _)m
近くで浪人らしき人たちが終わってからなんか見ながら朋誠堂って言ってたんで惑わされました‥‥

だそうです。
『鸚鵡返文武二道』だったら普通に恋川春町ですね。
頻度は低いですが、文化プリントにもあるとおりです。
ここからはいろんな教訓が学べますね。
「ノート・プリントになさそうで、実はちゃんとある」とか。
「周りの浪人生とかをスゴイ人なんて思っちゃだめ」とか。
こういう時に、「は? 何バカなこと言ってんの?」って言えたら、
そこから先は自信満々になれるのに、残念です。
そういう経験ができたら、緊張なんて吹っ飛ぶんですよ。
僕の授業を受けたり、教材を使ってくれた人だったら、
その材料=ニヤリネタは十分そろってますよ!
まだまだ詰め込んでください。

僕の方は、授業はないのですが、相変わらず日本史漬けの日々です。
連日の入試問題チェックと、一般書の原稿執筆が、
それはもう毎日毎日、延々と続いてるんです。
2月に入って、ようやく年賀状を出したのですが、
そこに、1年間の仕事漬けぶりを書き連ねたら、某友人から、

「なんていうか、相変わらずめちゃくちゃだね。」

と返されました。
確かにめちゃくちゃかも……と思っている今日この頃です。

そんなわけで、今日も質問メールを紹介します。

<Oさん>
今日駒澤の入試受けてきたんですけど、承久の乱のとこで
さきの没収地の多くは西国に存在していたので、新補地頭の設置は、東国後家人の九州・中国・四国への移住につながっていた。彼らを[10]後家人と呼ぶが、それはその後においても、いろいろな機会におこなわれていった。
って本文があって語群が、貢納 泰時 千五百 1232 五百 後堀河 対馬 義時 南面 隠岐 1221 亀山 率法 加徴 通法 法度 経時 西遷 重時 1211 鎮西 異国 北面 三千 西国面 順徳 時房 淡路 増分 時輔
ってあったんですけどどれですか(>_<)?? <石黒>
正解は西遷ですね。
03年の早稲田法学部で出題されたくらいで、めったに出ない用語です。
安心してください。
承久の乱後におかれた新補地頭は、
誰もがほんとに移住したとはかぎらなくて、
代理人を送り込んだ場合もあったのです。
だから、実際に東国から西国に移住した御家人を、
とりわけ西遷御家人とよぶんです。
承久の乱好きの早稲田ならではの出題ですね。
ちなみに「後家人」ではなく「御家人」なので漢字に注意してください。

<Oさん>
他は全てあってたのですがそこの部分だけが用語集にも乗ってなくて分からなかったです。漢字の指摘もありがとうございます(>_<)携帯なのでミスってしまったようですが本番でも気が抜けないですよね(o>_ そして、「他は全てあってた」ってすごいじゃないですか!
これに慢心せず、次の入試に備えてください。

<Oさん>
ありがとうございます(>_<)今年は駒澤大学滑り止めの予定だったんでなんとしても日本史は取りたかったんです。
大問4が駒澤としては まれ な戦後で焦りましたがなんとかとれました。まぁ史学科志望なんで日本史は武器にしておかないと…なんですよ。
わざわざ返答ありがとうございました☆