畿内めぐり(3)-大阪歴史博物館-

4日目は大阪に向かいました。ここは大坂城のそば、難波宮の跡地にある博物館です。その建設の際には遺跡を壊さないように配慮したそうで、柱の跡などを避けて建てられているのです。しかも博物館の地下にはその柱の穴を見学できるスペースが設けられていました。


わかりにくいですが、光っている円柱形は上からぶらさがっていて、柱のあった場所を示しています。

この難波宮は大化の改新の際に遷された都ですが、8世紀半ばに聖武天皇が遷した都もここです。そしてややこしい話ですが、それよりもっと前の5世紀の遺跡も見つかっているのです。

ヤマト政権の時代、ここ難波は大阪湾に面する交通の要地でした。淀川や大和川の河口で瀬戸内海と内陸部をつなぐ場所だったからです。そこに大王はやたら大きな高床倉庫を16棟以上も建てました。

この地を選んで建てたのは大王が強大な権力をアピールするためだったと思われます。そういえば同じ5世紀には大仙陵古墳(大山古墳)や誉田山古墳(誉田御廟山古墳)もつくられましたね。どちらも巨大な前方後円墳で大阪府にあります。
この遺跡を法円坂遺跡(ほうえんざかいせき)といって、これを避けるように博物館が建てられています。


高床倉庫が1つだけ再現されていて、のこりは柱の跡だけを円柱のコンクリートで示しています。隣にそびえ立っているのが博物館です。ちなみに法円坂遺跡は2014年に上智大で出題されましたが、めったに出題されません。

その後、6世紀に仏教が伝来すると聖徳太子が難波に四天王寺を建てます。

図の上にある台地上に立派な寺院が四天王寺です。ここは難波津(なにわつ)という港となり、遣唐使船はここから出航していきました。

次回は中世・近世の大坂を紹介します。

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