畿内めぐり(4)-大阪歴史博物館-

大阪歴史博物館はジオラマが大変充実していました。かなり精細に作っているので、時間が経つのも忘れてのぞき込んでしまいました。
まずは戦国時代の堺をごらんください。ここは会合衆(えごうしゅう)という豪商による自治都市でした。1568年、織田信長は足利義昭を将軍に立てて京都入りをすると、堺に対して矢銭(やせん)2万貫を要求しました。屈服するよう迫ったのです。このジオラマはそのときのことを想定しています。

門のあたりで話しこんでいる2人は信長への対応策を練っています。そこに最新情報をもった人が駆け込んできました。

江戸時代に入ると大坂は、日本経済の中心地として「天下の台所」と呼ばれました。ここには全国の大名たちが蔵屋敷をもうけて、国元から年貢米を運びこんで販売しました。

これは広島藩の蔵屋敷を再現したジオラマです。目をみはるのは屋敷内に水が引かれていることです。年貢米を積んだ船を屋敷内に引き込めるわけですね。興味深いのは赤い鳥居です。広島県の宮島にある赤い鳥居の大坂版なのです。ゆえにここにも小さな厳島神社があります。


米俵は防水ではないので、雨で濡れたりした場合は積み上げて乾燥させます。ピラミッド状に積み上げられてるのがわかるでしょうか。こうして乾燥させてから蔵に収納しました。

この年貢米の卸売市場として堂島米市があります。しかし、そこでは現物のお米がやりとりされているわけではありません。それぞれの蔵屋敷が発行した米切手(こめぎって)が売買されたのです。その米切手がこちらです。

米の量や蔵屋敷の名前などが書かれており、これを蔵屋敷にもっていけば現物のお米と交換できました。これなら簡単に転売できます。

最後は「船場(せんば)」という町のジオラマです。これはかなり大きなもので、とても全体の写真は撮れませんでした。とりあえず動画をごらんください。
https://www.facebook.com/hirochika.ishiguro/videos/1271810869571866/?l=4906787413592882370
屋根だらけでよくわかりませんよね?


この写真の中央にあるのが、大坂町人が出資してつくった私塾の懐徳堂(かいとくどう)です。


拡大するとこんな感じです。


いろんな姿をした人間が配置されています。


屋根の上に物干し場を設置してたんですね。


ガンを飛ばしあってますね。手前左は福沢諭吉だそうです。福沢は大坂の適塾で学んでいたため、ここも歩いていたということです。