もう忘れ去られていると思いますが、五島列島の旅行記のつづきです。ようやく最終回です。
奈留島から船に乗り、中通島に渡りました。
ここは十字架の形をした島で、島の先端まで行くにはかなり距離があります。しかも坂道が多いため自転車で回ることはあきらめました。レンタカーを借りて、ここぞとばかり走り回って多島美を堪能しました。多島美フェチですね。
相変わらず教会めぐりをしましたが、夕方に青砂ヶ浦天主堂にたどりつきました。
この天主堂は真西を向いて建っているので、ステンドグラスから西陽が差し込む設計です。ちょうどいい時間に訪れたので中を覗いたら、荘厳な感じがしました。でも撮影禁止なので内部の写真はありません。
島の安宿に泊まり、翌日は石造りが珍しい頭ヶ島天主堂に行きました。中通島の東端にある橋でつながった頭ヶ島という、つまり思いっきり僻地に建っている天主堂です。
ところで、五島列島にはかつて倭寇の拠点がありました。某大学の入試問題の関係で倭寇に興味を持っていたので、一度その拠点とやらを見てみたいと思っていました。そこで図書館で郷土史を漁った後、拠点の一つとされている小手の浦に行きました。近辺の家の人にお話を伺おうとしたところ、日本史講師と名乗った途端に門前払いされ、たじろぎました。すでに同じような人が何人も来てるのでしょうね。先祖が海賊だと言われることにうんざりしているのかもしれません。周りにはあちこち鉄柵がめぐらされていて、物々しさすら感じました。
高いところから見下ろした小手の浦です。海際まで山があるため、陸側からたどりつくには山を越えなければなりません。また海側から近づこうとすると、手前に島があって浦の様子が見えにくくなっています。
「倭寇は日本人ではなかった」という学説もありますが、受験日本史としてはその話は横に置いておいてください。後期倭寇は中国人中心だったと理解していてかまいませんが。
最後は龍観山展望台から若松の瀬戸を見渡しました。島の重なりと入江の湾曲がたまりません。
この後、五島列島を離れて長崎に向かいました。長崎では、以前に訪れた時に見逃していた26聖人殉教の地と、大浦天主堂に行きました。
前も行かなかったグラバー邸はどうしたのかって? はい、今回もパスしてしまいました。将来のデートコースとして取っておきます。