焼岳から日本海までの山旅(9)

朝日小屋のテント場はすごくきれいなロケーションにあります。
朝日小屋とテント場
朝日小屋とテント場(2年前の様子です)

幼稚園のころにアニメ『ムーミン』を見ていたせいで、僕の頭にはどうもムーミン谷がすり込まれているようです。なのでここはかなり好きなテント場です。水も豊富で、コンクリート製の流し台には蛇口もついていて使いやすくなっています。そのうえ小屋の夕食がすこぶるうまいのです。ロングルートの栂海新道を歩く前夜にエネルギーを充填するにはもってこいの場所です。女主人がきりもりしているせいか、小屋の中も非常にきれいにされてます。2年前には、夕食の際に同じテーブルだったトレイルランナーの笹岡さんという方と知り合いになりました。翌年、トランスジャパンアルプスレースのサイトで「笹岡選手」を見つけた時には驚嘆しました。このレースの出場者はわずか20名しかいないというのに、またもや偶然出会っていたのです。それ以来、Facebookでコンタクトを取るようになりました。笹岡さんは海外のトレランレースにも出場されるなど活動範囲が幅広いので、時々アドバイスをいただいています。ありがたいことです。こういう「偶然」って貴重だなあと、しみじみ感じます。

その笹岡さんも2年前、僕と同じく親不知をめざしていました。後で聞いたところ、深夜1時に出発し、雨で川のようになった登山道をを、雷雨におびえ何度も転びながら1日で下りきったそうです。僕はといえば4時に出発したものの、心折れて親不知は断念してしまいました。レベルの差を感じますね。このことを知ってからは、僕も親不知まで1日で歩ききりたいと思うようになりました。コースタイムは18時間です。それを7割の時間で歩ければ、親不知まで13時間でたどり着けます。でもそんな長い時間をずっと速く歩きつづけられるのでしょうか。とりあえず体力を回復させるべく、早めにテントを張って昼寝することにしました。

1時間くらい寝ると強風が吹いていることに気づきました。テントがぐわんぐわんしているのです。台風です。前日に日本海側に住む友人から「明日台風来るよ」というLINEが入っていましたが、「ギリギリ暴風圏から外れるんじゃないか?」と期待していました。でもやっぱり甘かったです。それでも気にしないようにして寝ていると、ついにテントのウォールが身体に触れるほど倒れこんできました。さすがに降参です。テントは当然風向きと並行に立てたのですが、いつの間にか風向きが変わっていました。2年前の悪夢がよみがえります。死亡フラグがはためきまくってますね。外に出ると小屋泊の登山客が心配そうにこちらを見ていたので、苦笑いを返しました。
ひしゃげるテント
ひしゃげるテント

思い切ってペグを抜き、テントの向きを直すことにしました。しかしここの地面はペグが刺さりにくく、その上テントを立てた後では強風にあおられてうまく修正できません。そもそも風向きはコロコロ変わるようでした。これではどんな対策も効果ナシです。雨も降ってくるし、泣きたくなりました。

少しでも身体を休ませたいというのに、これでは落ち着いて寝られません。冷静に考え直し、小屋泊まりに切り換えました。幸い小屋はすいており、お客さんは僕を含めて3人しかいません。よく見るとそのうちの一人は、船窪小屋で一緒だったおじさんでした。僕が連泊して停滞した日に、雨の中を先行して出発した方です。ヒゲがのびていたせいですぐに気づかず、互いの変貌ぶりに笑いあいました。

朝日小屋の夕食
朝日小屋の夕食

夕食後にFacebookで大原さんの動向をチェックすると、船窪小屋に泊まっていて、明日は台風の危険を避けて下山するとありました。やけに安全策ですね。あれ? 僕の判断は無謀なのでしょうか。すると西田さんからメッセージが入りました。帰宅後に台風の進路を調べていただいたようで、非常に丁寧な台風情報をくださったのです。先ほど知り合ったばかりだというのに、なんという親切さ! 驚喜しました。走り疲れていないのでしょうか。トランスジャパンに出る人たちのタフさには目眩がします。それとともに「こんな人間性を自分は持っているだろうか?」と自問したりしました。

せっかく環境の良い小屋に泊まっているのだからと、つま先が痛くなる靴をなんとかしたいと考えました。ハサミを借りて靴の中の突起を内側から押し上げ、思い切ってインソールを取りました。結果的にこれは正解でした。どうせならもっと早くやれば良かったです。

干しておいたものを取りこんで出発準備をすませ、布団に入りました。しかし風は強くなるばかりです。バタバタと音がしてよく眠れません。やがては小屋がギシギシときしみはじめました。もう完全に台風につかまってます。出発予定の深夜1時に外に出ると、風雨が強くてとても歩けそうにありません。あきらめて再び布団に入りました。「3時をすぎたら1日では歩ききれなくなるぞ……」と思いながら浅い眠りをつづけると、2時50分、なぜか突然はっきりと目が覚めました。耳をすますと風音が弱まっています。台風が海に抜けたのでしょうか。すぐさま飛び起き、15分後に出発しました。