焼岳から日本海までの山旅(8)

※「焼岳から日本海までの山旅(7)」の訂正:山岳ガイドの佐藤さん(僕のクライミングの先生です)からのご指摘で、「山小屋にはスタッフ専用の風呂があり、何日かに一回入ってます」とのことでした。失礼しました。ってことはやっぱり僕だけが危険物になってたわけですね……。

白馬岳は人気の高い山で、大きな山小屋が2つもあります。山頂近くの白馬山荘と、そのちょっと下にある白馬岳頂上宿舎です。テント場は下の小屋に隣接していて、その最大の魅力は小屋の夕食がバイキング形式だってことです。おかずも豊富でかなり量があります。ただしお客さんが少ないとバイキングではなくなってしまうため、今年はどうなのかが気がかりでした。小屋の受付で聞いてみるとバイキングだとのことで、さっそく申し込みました。

夕食までの時間をのんびり過ごし、食事開始の17時10分に食堂に行きました。するとほとんどの人がすでに席に座って食べていました。「あれ?」と思いながら料理を取る列に並ぶと、僕の後ろには誰も来ません。そこではたと気づきました。小屋泊の人たちを優先して、テント泊で夕食しか申しこまない僕には、わざと遅い時間を伝えていたわけです(!)。 よく考えれば5時「10分」という時間もキリが悪くてヘンですね。残り少なくなった大皿から料理を取っていくと、最後の牛丼では肉がひときれしか残っていませんでした。寂しい気持ちになりながら、「いいもん。天狗山荘で牛丼食べたから」とぼやきました。

気分を害したのは他にもあります。ここのテント場はスマホの電波が入りません。そのため食後に小屋の入口でスマホをチェックしていると、小屋のエライ人らしきおじさんが「用がないならテントに帰れ」と言うのです。その勢いにたじろぎながら、栂海新道の天気予報が知りたかった僕は、「栂海新道って住所でいうとどこになるんですか?」と聞くと、「栂海新道は栂海新道だ!」とキレられてしまいました。これには相当目を丸くしました。テント代1,000円と夕食代2,300円しか払わない客には用はないってことでしょうか。今後はできるだけ避けたい小屋になってしまいました。残念です。

翌朝、日が昇り出すなか白馬岳に登りました。
朝日をあびる杓子岳と白馬鑓ヶ岳
朝日をあびる杓子岳と白馬鑓ヶ岳

山頂からは5月に登った白馬主稜が見えました。雪山だったその時とは景色がぜんぜん違うため、何度も「ここだよな、ここだよな?」と確認しました。そんなふうにのんびりしていたら、前日天狗山荘で話した人たちが登ってきました。単独行の女性からは「山のことをよく知っていて、講師だから説明もわかりやすいし、そのうえ本も書いてるんだから、山の本だって絶対書けますよ!」と、あらためて強く応援されました。僕はいつも、人から登った山の話を聞いて「よし、登ろう!」ってなるのですが、今回は「よし、書きたい!」と感じてしまいました。
白馬岳山頂から
白馬岳山頂から

白馬岳山頂
白馬岳山頂

3人とお別れし、朝日小屋に向かいました。すると前からスラリとした青い姿の女性が駆け上がってきました。サングラスをかけていたので確信がもてなかったのですが、トランスジャパンアルプスレースの完走者・西田由香里さんに似ているのです。思わず「に、西田さんですか?」と声をかけてしまいました。するとやっぱりご本人でした(!)。トップアスリートらしからぬ美人ぶりに気後れするし、緊張するし、声は上ずるし……で、何がなんだかわからず、とりあえず握手してもらいました。アホですね。まるでアイドルに遭遇した中学生です。西田さんは蓮華温泉から白馬大池経由で上がってきて、この後白馬岳まで行った後、僕のめざす朝日岳を経て蓮華温泉に下ると言います。これ18時間もかかるコースなんです。それをやすやすと日帰りで走ってしまうのですから呆然です。西田さんは「じゃ、後で追いつくので、また」と言いのこし、白馬岳に向かって駆け上がっていきました。そこでようやく我に返り、「しまった。名乗ることも忘れてた」と大変恥ずかしくなりました。そこで名刺を取り出し、スマホの自撮りを練習して、再会に備えたのです。西田さんがあっという間に戻ってくると、自己紹介して名刺を渡し(受験用語で言う「名簿奉呈=みょうぶほうてい」ですね)、写真を撮らせてもらいました。
西田由香里さん
西田由香里さん

それにしても驚きました。後ろから迫ってきているトランスジャパンの大原さんを気にしていたら、目の前に同じトランスジャパンの西田さんが現れたというわけです。この人たちのFacebookを見ていると、一般人の3倍のスピードで走っていて呆然とします。笑いがこみ上げてくるほどです。

受験勉強でも同じですが、トップレベルの人たちがやっていることを間近で見るのは、大変な刺激になりますね。自分のレベルを引き上げるには、この方法が一番な気がします。もっともこのときの僕はとても走れる状態ではありませんでした。右足の薬指が靴の中の突起にあたってすりむけており、そのせいで反対の左足に負担がかかって膝の痛みが再発してしまっていたのです。ぎこちない足取りで朝日小屋まで行きました。朝日小屋までは7時間ちょっとでたいした距離ではありません。しかし、その先の長い栂海新道を次の一日で歩ききろうと思っていたので、前日は体力を温存させたいと考えていました。

ところでこのとき後ろから迫ってきていたのは、大原さんではなく台風でした。最後に試練が待っていたのです。

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