折りたたみ自転車でまわった佐賀・長崎(4)

4日め5日めは、長崎をまわりました。でも、吉野ヶ里と原城を見たことで大仕事を終えた気分では、精力的にあちこち見ようという意欲がわいてきません。自然環境の厳しい山登りとは違うので、ここは力を抜いて、自転車でぷらぷらめぐることにしました。
ところで、長崎では自転車に乗る人が少ないって知ってますか?
坂道が多くて自転車は不便なんだそうです。かわりにバスと路面電車がさかんで、同じ行き先のバスなのに、2台、3台と連なって走っているところを何度も見ました。

坂道が多いといっても、6段ギアの僕の自転車なら結構のぼれるし、最近の電動アシスト付き自転車ならかなりイケルはずです。しかし、階段だけはどうにもなりません。勢いよく自転車をこいでいると、突然、道がなくなって冷や汗をかきます。道がいきなり終わって、下り階段になっているのです。これはビビります。長い階段だと迂回せざるをえません。
平地を走るのにも気を使います。歩く人たちは自転車が通ることを想定していないかのようで、そこを通り抜けるのは気が引けます。「よそ者はこれだから……」って思われてそうな気がして、肩身が狭いことこの上なしです。信号待ちのときに見知らぬおじさんから「どこから来たの?」って聞かれたりしました。やっぱりよそ者だってバレバレですね。あとで聞いた話によれば、長崎市内には自転車屋すらないそうです。でこぼこの石畳も多いので、そこで自転車がパンクしたら……地獄でしたね。

さて、例によって最初に向かったのは長崎歴史文化博物館です。

ここはかつて長崎奉行所があったところで、その一部が復元されていました。展示の仕方もかなり工夫されていて、鎖国下の長崎がどういう土地だったのかが、非常によくわかりました。ここにもボランティアのガイドさんが何人かいて、話をうかがうことができました。展示物の説明よりも、長崎そのものの説明を聞けたのがよかったです。長崎に外国人女性が来たことがあるのか……など、ちょっとマニアックな会話もできました。

そして次に向かったのは、シーボルト記念館です。

シーボルトは幕府から特別扱いを受けていて、出島からだいぶ離れたところまで上陸できたようです。鳴滝塾があったのはこのあたりだろうとのことでした。そして、シーボルトが集めた日本に関する情報がたくさん展示されていました。国禁の日本地図を持ち出そうとしたシーボルト事件が有名ですが、日本の国力なども調べていて、オランダ派遣のスパイ説にもうなずかされます。もっともシーボルトを讃える記念館としては否定してましたけどね。皮肉なのは、その情報が今の江戸時代研究に役立っていることです。

その後は、亀山社中記念館とか、唐人屋敷跡を回りました。でも唐人屋敷ってどんなものか想像できませんよね?「大きな一軒家なのかなあ」って感じで。はい、まったく違います。これがその全体図です。

元禄の頃、長崎の人口が約6万人のうち、中国人がなんと1万人もいたそうです。南蛮貿易時代のポルトガル人からはじまって、このあたりには相当な数の外国人が来ていたのですね。混血の人はかなりいるのではないでしょうか。それを言うなら、すでに稲作伝来の時からして、はるかに多く渡来人が縄文人と混じり合ってますけどね。

唐人屋敷を一通り回りおえるともう真っ暗でした。もう見学できるところもないので、スタッフからのリクエストにあったカステラ屋「松翁軒」を探してみました。福砂屋などとは違って、東京には店舗がないんだそうです。ところがなかなか見つからず、何度も人に聞いて、ようやく閉店間際にたどりつきました。その苦労ぶりを語ってスタッフに感謝してもらおうと考えていたら、翌日、長崎空港で売っていてうなだれました。

名物のチョコラーテは確かにおいしかったです。もちろん抹茶カステラも買いました。