知ってれば解ける慶應、知ってても解けない早稲田(1)

休みと言っても、原稿執筆に明け暮れる毎日です。
みなさんも夏休み最後の追い上げにかかっているでしょうか?

さて、昨日「不安にかられること」があったと書きましたが、
それは「早慶難関大の日本史」の授業でも同じでした。
早稲田大学の問題には、正誤問題はもちろん、選択問題でも、
正解となる用語がわかっていなくても、
選択肢をいろんな角度から吟味していけば、
正解が導き出せるように作られていることがあります。
例年ならそうした問題の解説のところで、
「うんうん、そうやって解いた!」とか、
「なるほど! そうなってたのかぁ」などの反応があるのですが、
今年はイマイチ反応が薄かったりしたのです。

そもそも、そうした問題を解いていない人もいたような気がします。
「考えて正解を出す」ということをハナからあきらめているわけです。
暗記力だけでは単純に解けず、考えて解く問題は、
実際に何度も解いて頭を鍛えながら、
適切な正解へのプロセスを知る必要があります。
頭を鍛えることを面倒がっていたら、伸びるものも伸びません。
しかも、解答を導き出すための適切なプロセスは、
赤本には書いてないことがままあるのですよ!
だからこそ講習で問題解説をやっているのです。

一方、慶應大学の問題には、
用語を知っていなければ解けない問題が目立ちます。
しかし、その用語がめったに出題されないEランク用語だったら、
正解する必要はありません。
逆に思いのほか出題される用語だったら「捨て問」にはなりません。
実際には、Eランク用語を「正解しなきゃ!」と焦ったり、
その逆に、意外と出る用語を間違えたことを、
強く反省していなかったりするように見えます。
また、Eランク用語を正解して天狗になっている人も見えましたが、
そういう人にかぎって、
考えて解く問題では間違いまくりだったりします。
用語覚えに走っていたら、当然そうなるんですが。

この話、明日も続きます