※管理人より 早稲田予備校の冬期講習の日程を公開しました。
先月の山行記録を、Facebookに公開しました。このブログでも、抜粋版を2日にわけて紹介します。受験生のみなさん、遊びたい心を触発してしまったらごめんなさい。お時間のあるオトナの方は、ぜひ完全版をごらんください。
山からもどって、もう2週間が経とうとしています。転んでできたアザも消えました。この間、新しい本の準備や振替授業などで忙しく、なかなか山の報告ができませんでした。でも書けなかった最大の理由は、気持ちがへこんでいたからです。実は、日本海まであと1泊のところで、天候悪化のため断念したのです。
予定していたコースは、中ノ湯から焼岳に登り、そこから西穂高岳、槍ヶ岳、西鎌尾根を通って双六岳、裏銀座を通って船窪岳まわりで針ノ木岳、鹿島槍、白馬、朝日岳から栂海新道を下って親不知で海に出るというものでした。
出発は8月16日の夜でした。夜行バスを降りたのは翌朝の4時で、まだ真っ暗です。そうして登った焼岳は快晴でした。ここは登山初心者が多い山で、素晴らしい景色にはしゃぐ声が聞こえました。
1日目は西穂高山荘のテント場に泊まり、2日目この山行の最大の難所に挑みました。西穂高から奥穂高の間の岩場ジャンダルムです。
2日目は奥穂高山荘のテント場に泊まりました。
大キレットの手前から見た槍ヶ岳です。昨年とは逆ルートで、穂高から槍に北上しました。
3日目は、山で知り合った人が働く殺生ヒュッテのテント場に泊まりました。天気が崩れだしたのは、その翌日からです。朝から強い雨風で、停滞しようかと悩んだものの歩き出しました。テントを張るのもあきらめ、三俣山荘に泊まりました。
5日目も強い雨風で、ごくたまにガスが切れるものの、これまたつまらない登山となりました。
6日目の朝の日の出です。
地獄を見たのは7日目です。予定のコースタイムが11時間を越えるため、2時20分に起床し、4時前には出発しました。しかし、早くも4時半には雨が降り出し、8時台には雷雨となってしまいました。次の山小屋までは1時間か2時間か……視界が開けないため、自分がいる位置もはっきりわかりません。「進むしかない!」と気持ちをふるい立たせて歩くのですが、雷はひどくなるばかりです。「ピカッ」て光ってから、「ゴロゴロドーン」という音がするまでの秒数が、雷までの距離を示すことを思い出しました。さっそく秒数を計ると、最初は10秒くらいだったのが、どんどん短くなっていき3秒にまで縮まりました。後で調べたら1km先で落ちてる計算です。「これはヤバイ!」と思って、ザックとストックを投げ捨て、山の斜面を駆け下りました。そのときどんなところにいたかというと、進む(登る)方向の写真がこれ。
つまり前も後ろもなんにもない、がれきだらけの斜面なのです。「雷にあったら岩陰に身をひそめろ」と言いますが、そんな場所はありません。高いものに落ちるとしたら、どう考えても自分にです。とりあえずしゃがみ込みました。しかし、レインウェアの中のTシャツが汗で濡れているため、じっとしていると寒くなってきます。何か食べないと体温を保てません。ふるえる手で1つだけ持っていたホッカイロを取り出し、ナッツやチョコレートなどを口の中に放り込みました。
1時間近く待っているうちに体がどんどん冷えていき、今度は低体温症になる危険性が出てきました。雷のなか稜線上を歩く危険性と、低体温症に陥る危険性とを天秤にかけ、雷が弱まったように感じたタイミングで歩き出すことにしました。できるだけ身軽にするため、持っていた水をほとんど捨てました。早足で頂上まで登り、そこから稜線を駆けおり、針ノ木小屋に逃げ込みました。助かったのです。後で調べてみたら、僕がいた場所から直線距離で13km離れた黒部五郎岳では、この日落雷を受けて背中にヤケドを負った人がいたそうです。笑えない話です。針ノ木小屋でコーヒーを飲んでひと息ついた後、扇沢に降りることにしました。