今日は、堤君からのアドバイスを紹介します。
彼は今年の上智、日大、明治大入試で、
正解率9割越えをはじき出した本当にスゴイ人です。
明治大法学部にいたっては、なんと満点でした。
今年の明治は、商学部が異常に簡単で、
1問ミスの受験生は普通にいたようですが、
彼の場合、情報コミュニケーション学部でも94%を取っていて、
もう脱帽するしかありません。
もっとも、それらの大学には行かずに、早稲田に行ってるわけですが。
そんな彼からのアドバイスです。どうぞ。
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よく友達と日本史の問題を出しあったのを思い出します。それは先生の授業のノートにある語句の問題ばかりを出し合うのではないのです。ノート書いてない語句の行間の話や定義、補足事項を友達と出しあうんです。そこまでいけばもはやノートの表面上にある情報を覚えるのは常識になってしまいます。要するに言いたいことは先生の授業の最大の面白さ、凄さっていうのはあの記憶効率や、わかりやすさを最大限に意識したノートはもちろんですが、あの90分という授業時間のなかで受験日本史という1教科に精通しうるのに必要最低限の全ての情報、データをしゃべりきってしまうところなんですよ。そこには過去に出されたデータの中で今後また出題される可能性のあるものが板書される以外に先生の口から次々と出てくるのです。その一つ一つの発言の緻密さといったらある意味完璧な一人芝居ともいえますよ!僕はノートだけじゃないそこに石黒日本史のすばらしさ感じましたね。アドバイスを僕以外でなさった方の自己改革なるものさえできてしまえば後はその先生の熱演を一瞬も逃さず見、そして頭の中で再現したり自分もしゃべり勉強などで真似して演じるというきわめてシンプルな作業に限ると思うんです。つまり日本史を得点限にして早慶狙うならノートを全部覚えろって言いたいんじゃなくて授業全部覚えろって言いたいわけです。自分もそうでしたが、なかなかノート覚えでいっぱいいっぱいになりがちなんですよね。でもあくまでこれが理想であるべきだと思います。
世の中には日本史8割取って満足しきってる人がたくさんいます。これってニヤリですよね。だってそこで9割10割取っていけるなら圧倒的な差をつけることが可能ですから。もし石黒先生の授業を受講することができた方ならばそれが可能です。本当に行きたい大学があるなら全力ですべてを吸収してください!!
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「熱演」には笑いました。
たしかに何をどうしゃべるかは決めてあるので、
それを「時間内にしゃべりきる」という意味では、芝居ですね。
彼は、『どこでも史料問題』の音声CD−ROMや、
『でる日講義』についても、
「先生、きっちりしゃべりきってますねえ」と誉めてくれていたのですが、
それをチェックできる堤君は、かなりの強者です。
それにしても、この堤君、初回の授業にはいなかったのです。
いや、某Tハイスクールに通っていたんですよ。
ところが、お友達の石山君に、
僕の授業のMDを聴かせてもらったんだそうで、
2週目の授業から来てくれるようになったのです。
なんでも、MDを聴いて、
「これは生授業を受けるべきだ!」と思い至ったんだそうです。
すごいですよね、それだけで決断してしまうなんて。
まさに「わずかな一部分から、コトの全体を見極める能力」ですよ。
今年も、他の予備校からわざわざ来てくれている人が何人もいますが、
そういう人がいると思うと、身が引き締まります。
彼らは一種、貪欲なんだと思います。
藤原陳忠みたいですね。
受領と呼ばせていただきましょう。
すいません、普通の人には通じないネタでした。
で、このアドバイスを読んで思い出したんですが、
堤君は授業中、強烈な眼光を放っていたんです。
それはもう、怖いくらいに、です。
あれは、このためだったんですね。
一瞬も逃さず見、そして頭の中で再現したり自分もしゃべり勉強などで真似して演じる
そう考えると、うつむいて授業を聴いている人というのは、
堤君とは正反対な人なわけで、
授業を「頭の中で再現」するなんてこと、できるはずないわけです。
同じ授業を受けていて、同じ早稲田大学を目指しているのに、
なぜこんなに違うんだろう、
授業中に寝てる人は論外として、
うつむいている人ってなんなんだろう……と、よく思っています。