地方の受験生は予備校に行くこともままならず、
劣悪な環境で学習せざるを得ないことが多いようです。
僕自身も田舎の受験生でしたから、
夏休み・冬休みこそ予備校に行きましたが、
通年で通うなんてこと思いもしませんでした。
それでは都心部の受験生と差が付いて当然です。
今日紹介するのも四国の受験生からのメールです。
<Sさん>
石黒先生こんにちは。先月に明治大の問題について質問をしたのですがおぼえていますか? 残念ながら、苦手科目である古文と漢文がともに足をひっぱてしまい第一希望の明治文学部には合格できませんでした。(中略)私の学校の日本史の教師(担任)は最悪で、同志社大卒業したことを自慢するかのような教師です。「俺が黒板で赤で書くところと教科書の太字と系図さえ頭に入れれば関西大や関学院あたりは余裕」と根拠のない神話を述べています。教師の主観授業をやるので、戦国時代は赤字だらけです。イジメや校舎内で飲酒もあって、クラスも崩壊をしているので受験をするという雰囲気ではありません。すいません。話がそれました。結局、成蹊大の経済学部に進学します。
一つだけ気になったのですが、今年の学習院法学部では[V]の(5)の問題で、「佐倉城址に1983年に開館した、日本列島の歴史と文化について総合的に研究・展示することを目的とする国立博物館の名称を答えなさい。」という問題で、私は東京江戸博物館と答えましたが正解でしょうか? 一年前は、同じ法学部でペリーの葬式した寺をきいていましたが私は増上寺と寛永寺に迷って寛永寺と答えましたが、答えは増上寺でした。石黒先生は、このような問題はどのように指導していらっしゃるのでしょうか?
<石黒>
とりあえず合格おめでとうございます。
佐倉城趾の博物館は歴史民俗博物館です。
用語集には載っていないようですが、
それこそS君の親戚があるという千葉じゃ有名な博物館です。
ブログにも登場してますよ。
ちなみに、「東京江戸博物館」ならぬ「江戸東京博物館」が、
両国にあります。
また、「ペリーの葬式した寺」ではありませんよね?
問われていたのは、
(ペリーが浦賀に来航したすぐ後に逝去した)徳川家慶の、
葬儀が行われた寺院でした。
もっともそれは××(検閲削除)から解答を導き出す問題で、
ペリーだの家慶だのはどうでもいい知識です。
決して簡単ではありませんが(中略)
そうしたことをやっているのが予備校の僕の授業というわけです。
ちなみに同志社大学などの関西の大学と関東の大学では、
問題の質が全然違っているのです。
この先生はその違いにも気づいていないのでしょうね。
自分の大学を自慢できるというのは、
その本人にとってはある意味幸せなことですが、
それは、自分より下のレベルの人を対象としている時だけの話です。
そういう考えの先生のもとで、
早慶上智などの最難関大をめざす場合は、
その先生を踏み越えなければなりません。
それに気づかない無邪気で純真な高校生がかわいそうです。
世間の中で自分がどこに位置しているかを知ることは、
大人になるための重要なステップの一つです。