沖縄2日目はまたもや県立博物館に行きました。
すでに前回来た時に1日かけて回ったのですが、それでもまだ足りなかったのです。他の県立博物館なら似たようなものばかりでスルーできるのですが、沖縄はやっぱり別の文化圏です。見るべきものが多すぎるのです。しかも今回は特別展として「港川人の時代とその後~琉球弧をめぐる人類史の起源と展開」というのもやっていました。
こちらは2014年にサキタリ洞遺跡で発見された旧石器時代の人骨です。
石灰岩の下から横たわっている状態で発見されました。死んだ後に埋葬された可能性が高いそうです。
こちらは縄文時代の遺跡のジオラマです。後ろの方に琉球石灰岩が露出していますね。この時代の人びとは動物の骨や貝殻でつくったアクセサリーを身につけていました。
こんな形の貝があるんですね。イモガイです。これを輪切りにしたものが、青山学院大が好む貝輪です。
「腕輪」として使います。これは山口を旅行した時に土井ヶ浜遺跡でも見ました。実は、沖縄でとれたイモガイが九州や山口県にまで運ばれていたのです。
その逆に本土から沖縄に運ばれたものもあります。たとえば佐賀県腰岳(こしだけ)で産出した黒曜石です。
こちらがまさに腰岳産の黒曜石で、石鏃(矢じり)として使われました。
こんな感じで運ばれました。
黒曜石の産地というと白滝(北海道)、和田峠(長野県)、阿蘇山(熊本県)、姫島(大分県)が有名でしたが、最近の入試では他の産地も出題されるようになってきました。この腰岳もその一つです。考古学を好んで出題する立命館や同志社大の受験生は覚えた方が良いでしょう。でももっと注目株の産地があります。伊豆諸島の神津島(こうづしま)です。はるばる南関東にまで運ばれました。縄文時代の「外洋航海術」には驚かされるばかりです。
入試からはずれる話ですが、同じころの宮古島がちょっとおもしろいことになっていました。縄文文化は沖縄本島までは伝わっていますが、さらに西南の宮古島には伝わらず、土器をつくっていなかったようなのです。そうすると「食べ物の煮炊きはどうしてたの?」という疑問がわいてきますね。どうも石蒸し料理をしていたらしいのです。宮古島からはそれらしき跡が発掘されました。
料理の手順は次のとおりです。
①右の二人→薪の上に石を置いて焼く。
②中央の三人→穴を掘って焼いた石を敷き、その上に木の葉にくるんだ食べ物を並べる。
③手前の二人と犬→蒸し上がるのを待つ。
④左端→できあがった料理を取りだす。
見ているだけでヨダレが垂れそうになりませんか?