沖縄戦終結50周年にあたる1995年、「平和の礎(いしじ)」という碑が建てられました。これは国籍の違いや軍人・民間人の違いも関係なしに、沖縄戦で亡くなったすべての人たちの名を刻んだ記念碑です。早稲田大学などで出題されていることもあってぜひとも直接見たいと思っていました。
碑は平和祈念公園の中にありました。24万人もの方々の名前が刻まれているだけあって圧倒されるほどの数です。被害の大きさを感じて震えました。園内は非常に広く、各都道府県の慰霊塔をまわるバスが走っているほどです。僕も乗りました。
これは沖縄県平和祈念資料館です。ここの展示も大変見ごたえのあるものでしたが、撮影禁止だったので残念ながら写真はありません。
逆に撮影可だったのは別の場所にのこっている旧海軍司令部壕です。わりと空港に近いところにあるので、最終日の帰る間際に行きました。
首里城から撤退した日本軍の司令部はここに籠もってねばりました。司令官の一人がここで自決するのですが、その直前に本土の海軍次官に宛てて打った電報が有名です。その最後はこうあります。
「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世(こうせい)特別ノ御高配(ごこうはい)ヲ賜ランコトヲ」
3カ月近くも戦火にさらされた沖縄県民に対する思いがあふれていますね。一般住民に犠牲を強いていることを十分わかっていたのでしょう。それ以後の沖縄が幸福とは言えない状況にあることを考えると、よりいっそうの涙を誘います。ただしこの電報だけで日本軍を美化することはできません。いっぽうでは「司令官なら一般住民の保護について米軍側と交渉すべきだった」という冷ややかな声もあるからです。沖縄の日本軍が抵抗をやめたのは6月下旬ですが、それ以降も沖縄では多くの民間人が亡くなっていきました。
旧海軍司令部壕に展示されていた手榴弾です。軍からこれを渡されて自爆した民間人も多くいました。
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『でる日講義-アラカルト-』
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