スイス・アルプスへの旅(6)

滑落の後は怖じ気づいてしまい、登るスピードが極端に鈍ってしまいました。すぐはずれてしまうアイゼンでは、安心して体重をかけられないからです。でも岩壁はまだ続きます。そうなるとフィックス・ロープを握って腕の力で登りたくなりますが、腕の筋肉がない僕はすぐにへたってどうにも進みません。上でトゥビアスさんが、僕の身体を結んだロープを引っ張り上げようとしています。自分の力で登れないことが情けなくて、泣き出しそうになりました。再びアイゼンがはずれた時には絶望的になり、思わず「くそーっ」と叫んでしまいました。ここで撤退を言い渡されたら、ここまでの苦労はなんだったのか……。しかしその時、ふとクライミングの先生に教わった「腕の力に頼らず足で身体を持ち上げろ」「たとえ登山靴でも親指の先だけ引っかかれば立てる」というアドバイスを思い出しました。半ばやけくそになって、アイゼンを足にぶらぶらさせたまま、わずかな岩の突起に右足を引っかけました。やってみるとできるものです。ついにその岩壁を登りきりました。

こうして小屋から5時間半後、ついに頂上にたどり着きました。トゥビアスさんが「2o’clock」と行ってから、本当に2時間が経過していました。

先行して頂上に立つガイドのトゥビアスさん
先行して頂上に立つガイドのトゥビアスさん。

スイス・アルプス
スイス・アルプス。尖っているのがマッターホルンです。

スイス最高峰のモンテ・ローザから見た景色。マッターホルンさえも低く見えます。

Posted by 石黒 拡親 on 2015年8月9日

スイス最高峰のモンテ・ローザから見た景色。マッターホルンさえも低く見えます。

無事、頂上にたどりついた安堵感から、僕は喜ぶというより魂が抜けた状態となっていました。それでも写真を何枚か撮り終えると、トゥビアスさんが僕を撮ってくれました。その写真は3枚ありますが、いずれも呆然と虚空を見つめながら、身体を斜めに傾げて立ち尽くしているものです、それを見た弊社スタッフは、僕のあまりに情けないサマに大笑いし、「これは門外不出ですね」と言っていました。見るに堪えないNG写真だそうです。

ふり返ると僕とは別のルートで登ってくる登山者がいました。

後続の登山者
後続の登山者。

頂上は2人立つのがやっとという狭さなので、写真を撮り終えると早々に下り始めました。

感動はこの後にもやってきました。雪面をザクザクと降りるときは、あまり足元を注意しなくても歩けます。それゆえ正面の景色をずっと見ていられます。正面にあるのはマッターホルンとそれに連なるスイス・アルプスの山々です。それらを見ながらひたすら下っていくのは、実にぜいたくな時間でした。僕はそのスケールの大きさに圧倒され、感嘆の声を何度も上げました。

モンテ・ローザからの下山では真正面にマッターホルンが見えていました。スイス・アルプスの山並みを見ながらひたすら下っていくのは、実にぜいたくな時間でした。スケールの大きさに圧倒され、感嘆の声を何度も上げました。

Posted by 石黒 拡親 on 2015年8月9日

その後はクレバスに阻まれ、右往左往させられました。まるで迷路です。行き止まりで引き返すことをくり返させられます。他の一般客も立ち往生していました。そうこうするうちに僕の太ももの筋肉はへたり、何度も何度も転びました。雪上なのでケガはしませんが、どうにもきちんと歩けません。そうして11時50分、モンテ・ローザ小屋にたどり着きました。ガイドの仕事はここまでなのでトゥビアスさんと別れ、そこからは一人登山鉄道の駅に向かいます。行きとは違う安全ルートをたどれたものの、すでに力尽きており、顔をしかめながら足を引きずる3時間半となりました。結局、この日の歩行時間は13時間に達しました。

帰りの電車で惚けていると、隣り合った日本人のおばさんに「どこに行ってたの?」と聞かれました。「マッターホルンに登った後、モンテ・ローザに登ってきました」と答えると、ずいぶん驚いてくれました。翌日、僕のツアー仲間のおじさんが町中で、日本人おばさんから「マッターホルンとモンテ・ローザに登った日本人がいたのよ-」と聞かされたそうです。「アホな人がいるのね」って言われてなきゃいいのですが、気軽に登る山ではありませんでした。

帰国後、体重計に乗ってみると体脂肪率が9%となっていました。スポーツ・ジムでは「脂肪量が減りすぎてます。疲れやすくなりますよ」と指導されてしまいました。実際、帰国翌日からの南浦和の講習では疲労困憊でした。なんでもやりすぎはいけませんね。