解説に手こずる、早稲田の過去問(1)

先週、まだ5月上旬というのに、早稲田の過去問を解いた現役生から質問を受けました。彼は小問内で全問正解だったものの、その解き方が正しかったかどうか気になって質問してきたのです。早大受験生は、よかったら解いてみませんか? 早稲田のいくつかの学部に見られる、非常に難しい考古学知識を問う問題です。正解は、明日公開します。

「日本史道場」では、こうした難しい問題の解説を行います。この手の問題は、文章で解説することは大変やっかいです。予備校のライブ授業でも、誤り箇所を指摘するのに、いちいち口で言わなければならず、まどろっこしくなりがちです。その点「日本史道場」では、問題をプロジェクターで投影して、誤り箇所を指し示すことができるので、ややこしい問題でもバンバン解説していきます。受講生は覚悟しておいてください。

プロジェクターを使った解説授業

2012年 早稲田大(文学部)【1】
(編注:[]の部分に下線が施されています)

 次の文を読んで,問に答えなさい。

 縄文時代は1万数千年前に始まり,おおよそ3000年前まで存続して弥生時代に引き継がれた。長きにわたる無文字社会の中で,文化と社会は徐々に複雑性を高めていったと考えられる。後期旧石器時代文化との連続性については不明な点が多い。縄文時代の開始期に相当する A 期以降は,a[温暖化した自然環境の下]で,大陸につながる陸橋が失われて隔絶したために,日本列島には独自で固有の縄文文化・社会が繁栄したと考えられる。しかし,世界史的視点でながめると,はるか極東にありながらb[生業や各種の技術的要素の多くが西アジア等の新石器文化と一致する点]は,人類に共通の社会進化と関連して興味深い。
 縄文社会は,集落や墓の構成から判断して,おおよそ血縁関係と地縁関係に重点を置いた社会だと言うことができるが,それに加えて信仰や祭祀・儀礼などを通じた社会的なまとまりが観察され,c[部族的な集合体]として機能していたらしい。
 縄文時代には,中期以降に土偶や石棒,土面など,呪術とd[祭祀・儀礼]をものがたる製品が多く生み出され,先祖祭祀や精霊崇拝に基づくシャーマニズムなどの精神活動をうかがい知ることができる。
 しかし,紀元前1000年頃から,朝鮮半島を経由して大陸系の文化が渡来し,主に北部九州を中心として,在来のe[縄文文化との間に接触・融合が行われ],文化変容の結果,新たに弥生文化が形成されるようになった。その後,新たな文化は広く列島各地に波及した。

〔問〕
1 空欄Aにあてはまる縄文時代の6時期区分の用語は何か。記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。

2 下線aの説明として誤ったものを1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 気候が温暖化して,氷雪の融解と共に海水面が汎世界的規模で上昇した。
イ 低地部に海水が浸入し複雑に入り組む遠浅の入り江が各地に出現した。
ウ 日本海側の冬季の降雪が顕著になり,ブナ林を中心とした植生が生み出された。
エ 亜寒帯性の植生から落葉広葉樹林,照葉樹林等の植生に徐々に変化した。
オ マンモスやオオツノジカなどの北方系動物群が,本州から北海道方面に移動した。

3 下線bの説明として誤ったものを1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 主な生業として植物栽培や牧畜が行われた形跡が見られる。
イ 土器の製作が各地で行われた。
ウ 弓矢などが用いられ,狩猟活動も継続した。
エ 石斧などの石器に磨製技術が用いられた。
オ 土製のヒト形などの造形が行われ,信仰や祭祀・儀礼と関係する物品が生産された。

4 下線cの説明として正しいものを2つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 機動的で部族的なまとまりを持ちながら国家を形成した。
イ 地縁的・血縁的な紐帯を基盤にして,親族組織や婚姻に基づく地方集団を構成した。
ウ 10数人程度からなる小規模集団が移動性に富んだ社会を形成した。
エ 豊かな自然資源に基づいて定住社会を形成した。
オ 平等性が広く行きわたり,位階や階層性のない完全な平等社会が形成された。

5 縄文時代に関する下線dの説明として誤ったものを1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 通過儀礼や先祖に関する祭祀・儀礼が親族組織などを中心に行われた。
イ アニミズム的な信仰や呪術,儀礼が行われ,以後の文化・社会に影響を残した。
ウ 儀礼的交換や祭祀・儀礼を契機として,集団間の交流が促進された。
エ 祭祀・儀礼は社会の停滞性をものがたり,社会の進歩とは全く無関係であった。
オ 縄文時代の経済や政治は,祭祀・儀礼などの社会的側面に融合的に組み込まれた。

6 下線eの説明として正しいものを1つ選び,マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 渡来系の物品が流入して融合しただけで,人的な渡来・混血はなかった。
イ 渡来系土器と縄文式土器との融合の結果,北部九州の弥生式土器が生み出された。
ウ 渡来系住民は在来の縄文人の一部と接触したが,大部分を北方地域へ駆逐した。
エ 縄文時代の石器は渡来系石器と融合し,そのままの形で残存することはなかった。
オ 北海道方面でも弥生文化が流入し,縄文文化から弥生文化に変化した。

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