折りたたみ自転車でまわる、受験日本史スポット−鳥取・島根の旅(5)−

最近は、出雲大社が縁結びにご御利益があることを知らない人が増えているのでしょうか。derutoko.com のスタッフにも知らない人が二人もいて驚きました。実際、出雲空港も「出雲縁結び空港」なんて愛称をつけてアピールしていました。

出雲大社

早朝からその出雲大社に行ってみると、関西あたりから来たらしい家族がお参りしていました。いいなと思ったのは、お父さんが息子に向かって、「『~なりますように』ってお願いするんじゃなくて、『僕は~します』って言うんだぞ」と諭していたことです。他力本願じゃダメなわけですね(浄土真宗のかたには申しわけありませんが)。

すると今度はお母さんが、「ちゃんと心の中で言うのよ。言える? 何て言うか、言ってみ!」と横から口を挟んできたのです。右から左からと息子も大変なわけですが、そこにおばあちゃんが「心の中で言うんとちゃうんかい」ってボソッと言うものだから、つい吹き出してしまいました。さすが関西人です。

神社を一周ぐるっとした後、ふたたび古代出雲歴史博物館に行き、「平成の大遷宮『出雲大社展』」を見ました。初日ということでエライ人たちがたくさん来ていたらしく、博物館員らしき方がハンドマイクを使って説明していました。僕も便乗して話を聞いたのですが、メモなどを見ることなしに説明されている様子に見入ってしまいました。完全に吸収された知識でもって、説明されているわけです。「大国さま=ダイコクさま=大黒さま?」について、直接質問をさせていただいたのですが、その回答も実にわかりやすいものでした。

午後は西谷墳墓群を見に行きました。ここは四隅突出墳丘墓や円墳や方墳がうじゃうじゃ存在しているところで、出雲弥生の森博物館があるのです。ここの存在を知らなかったので予定していなかったのですが、2つの博物館で勧められたため、行ってみることにしたのです。

実物の四隅突出墳丘墓は大きすぎてカメラに収まりませんでした。そのかわり博物館に楽しいジオラマ模型があったので、それを紹介します。

四隅突出1

よっぽど「こたつ墓」って名づけたほうがいい気がする形です。これは弥生時代の墓ですが、この後につくられる古墳と同じく、やっぱり表面は石が敷かれていますね。

四隅突出2

実にリアルな人間たちなのが笑えます。墳墓の大きさも想像できるのではないでしょうか。そしてここに王が埋葬されていた様子を、輪切りにして再現したのがこちらです。

石室内部

王が白い布にくるまれて、赤い布団の上に寝ているようですね。この赤いのは水銀朱です。成分分析したところ、なんと中国から入手した水銀朱だったそうで、3cmもの厚さで敷かれていたそうです。「なぜ有毒な水銀を?」って思うでしょうね。昔は、水銀が不老不死、魔よけ、死者再生に効果があると思われていたのだそうです。大変貴重なものだったので、これを大量に使うことで権力の大きさを示すことにもなったのでしょう。

ところで、古墳時代後期にさかんとなった横穴式石室の模型が置いてありました。これまた非常にわかりやすいので、紹介します。

横穴式石室模型1

2体収められていますね。左側に積まれている石を閉塞石(へいそくせき)といいます。これで入り口をふさいでいるのです。そして石室内部の副葬の様子も見てください。

横穴式石室模型2

灰色の器は須恵器ですね。左側に2つの鞍(馬の背にのせるシート)が並べられています。当時は、陸上での移動手段としては馬が最速でした。5世紀から騎馬の風習が広まっていったので、最先端の乗り物の道具を副葬したのでしょう。そして遺体の首には、管玉のネックレスが見えます。

親切な女性スタッフがわざわざ個別に説明をしてくださったので、短時間でたくさんの知識を得ることができました。そして、ここを最後に「出雲縁結び空港」に向かい、6日間の旅を終えたのです。

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