歴史系の博物館は、遺跡のそばに建てられていることが多いです。そうすると、たいてい交通の便が悪い場所となります。島根県立「八雲立つ風土記の丘」もそうでした。クルマではなく自転車で移動しているため、小回りが利く反面、1時間くらいは自転車をこがなきゃいけないこともしばしばです。今回は、松江の高校生の自転車の群れの中を走ることになりました。
途中、山代郷の郡家(ぐうけ、郡衙のこと)跡に立ち寄りつつ、「八雲立つ風土記の丘」にたどり着きました。ここには岡田山1号墳という、古墳時代後期の前方後方墳があります。
この古墳からは「額田部臣」と記された大刀が出土しているのです。こんな大刀です。
そして、そこに博物館が建っているわけです。近くに出雲国庁(国衙)跡や島根県最大の古墳があるというので、そちらもついでに回り、つぎに荒神谷遺跡に向かいました。
遺跡のそばに建てられている荒神谷博物館では、専門の先生らしき方がいらっしゃって、発見当時の熱いお話をうかがうことができました。いくつもの偶然が重なったおかげで、銅剣を発見できたそうなのです。埋まっていた部分が再現されていました。
左側に見えるのが358本の銅剣です。右側には6個の銅鐸と16本の銅矛が埋められていました。この整然と並べられている様子からは、何らかの儀式があったことを思わせますね。もちろんこれらはレプリカです。本物は、出雲大社の隣に立つ「古代出雲歴史博物館」が所蔵しているのです。「八雲立つ風土記の丘」の職員さんは、「あっちが全部持って行ってしまった」と嘆いていました。ちょっと笑ってしまう裏事情です。
そして翌日、その「古代出雲歴史博物館」で銅剣を見たのです。
なんと壁面いっぱい銅剣でした。見た瞬間、思わず「うぉっ!」と声が出てしまったほどです。レンズにも収まっていません。上に見えるのが出土した銅剣をまねて作ったもの、下が本物です。作った当初の銅剣は、こんなにキンキラキンなのです。それが錆びて、青くボロボロになるわけです。
荒神谷遺跡のすごさは、なんといっても銅剣の出土数です。当時、全国で出土していた銅剣の総数は300本くらいだったのに、荒神谷だけで358本も見つかったのです。でも、ほかにもすごいことがあります。上の写真にあったように、銅矛や銅鐸もいっしょに出土したことです。その銅矛・銅鐸も並べて展示されていました。
この「古代出雲歴史博物館」は見るべきモノが非常に多くて、翌日、翌々日と二日連続で通うことになりました。その話はまた明日です。
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