3日めの目的地は、島原の乱で有名な原城です。佐賀からは、4時間半も電車とバスを乗りつがなければなりません。バス停からも距離がありますが、そこは自転車でラクラクです。そういえば電車で見かけた中高生は、純朴そうな人ばかりで、都会の中高生に慣れた目には新鮮でした。勉強している人も多かったです。
原城です。観光地化していなくてホッとしました。ここに2万数千人もの一揆勢が籠城したそうです。そして最後は全員が殺されたといいます。そんな場所ですから、さすがに派手に飾りたがる人もいないのでしょうね。実は、ここにテントを張る案があったのですが、さすがにやめました。初めての輪行で幕営までするのは、ちょっと無謀かと思ったのです。もっとも実際にここで寝たら、いくら霊感のない僕でも「何か」を感じたかもしれませんね。いや、昼間でさえもプレッシャーというか、もやーんとしたものを感じたのです。思い込みなのでしょうけど。
城の背後は断崖で要害堅固なのですが、その向こうに広がる海は、暖かな陽射しを受けて実に穏やかなのです。陰惨な戦場とのギャップで、身体が地面から1cmくらい浮いているような気分になりました。突然別世界に迷い込んだような……。しかしいっぽうで、この海からオランダ船が砲撃を加えたことを思うと、暗澹とした気分にもなりました。同じキリシタンなのに、オランダは貿易の利を求めて幕府に協力したのです。
天草四郎時貞の像です。他にも小さな墓がたくさんあって、花が供えられていました。あちこちに花が咲いていたのは、誰かが種を蒔いたのかもしれません。自分が何も持ってこなかったことを少し後悔して、目を閉じて冥福を祈りました。
帰り道、畑の中を自転車で走っていくと、農作業をしていた若いお兄さんがあいさつをしてくれました。
原城から長崎に向かう途中で、島原に立ち寄りました。一揆をおこした人たちは、ここの領主の圧政に苦しめられていたからなのですが、現在の城内にはキリシタンにまつわる遺物がたくさん展示されています。なんて皮肉なことでしょう。島原の乱からおよそ400年、あの世で両者は和解できたのでしょうか……。
その後も雲仙普賢岳の噴火で大被害をこうむったり、悲しい歴史をもつ島原ですが、水のきれいな町でもあります。湧き水があちこちで湧いているのです。きれいな水の流れを見ることができる町でした。
武家屋敷がのこる町並みの真ん中を、水路が走っていました。