derutoko.com 教材を使ってくださっている
日本史の先生のうちのお一人から、質問のメールをいただきました。
本日授業中に気づいたことを質問します。
「元が南宋を滅ぼす」年代は、ずっと1279年で教えていたのですが、
浜島書店の資料集と山川の教科書が1276年となっており、
びっくりしました。
これまで、1279年の崖山の戦いで南宋滅亡と理解していて、
「1279年滅亡→1281年弘安の役」と教えてきました。
用語集によると、首都臨安が陥落した年が76年とのことです。
76年・79年、どちらが、
受験日本史として指導するのに適切でしょうか?
よろしくお願いします。
<石黒>
ご質問の南宋の滅亡年については、
当方も詳しいことはわかりませんが、
平凡社の『世界大百科』には、
「元の世祖フビライの攻撃をうけて,1276年に臨安が陥落,恭帝は元の軍門に下った。文天祥らは幼帝を奉じてなおも抵抗をつづけたが,79年(祥興2),広州湾の苑山島に追いつめられて全滅し,宋朝はここに完全に滅亡した。」
とあります。
中国史的にはどちらが重要かはわかりません。
しかし、入試問題の設問文では、
1279年で書かれている方が圧倒的に多いです。
たとえば、1997年の立命館大も、2004年の同志社大も、
「元は1279年に( )を滅ぼすと……」と出題しています。
ただし、年代そのものはめったに問われません。
それでも問われた例を挙げると、2001年の駒澤大があります。
選択問題で、選択肢には1278・1279・1280が並んでいました。
かなりキツイ問題ですが、選択肢に1276はありませんから、
ここでも1279年の方を重視していることがわかります。
もっとも駒澤大でしたら、
そんな難問は捨ててしまってもかまわないかと思います。
というわけで受験日本史においては、単に、
「文永の役と弘安の役の間の時期に、南宋は元に滅ぼされた」
と教えるだけで十分かと思います。
もちろんそれにからめて、
弘安の役の際の江南軍を教えるべきですが。
難しい内容ですが、
教科書に書いてあることが重要ってわけじゃないことが
よくわかる事例でした。