薬師寺も法相宗の大本山なんじゃないの?

先日のエントリーに対してこんな質問がありました。
やりとりを紹介します。

<Fさん>
はじめまして。ブログを拝見させて戴いています現役生です。13日のエントリーについて質問なんですが、薬師寺も法相宗の大本山ですよね?薬師寺のホームページにも記載があったような気がしますが…。この問題はここだけでなくて、資料の(  )から興福寺と判断するのではないでしょうか?興福寺であることに全く異論はありませんが、かなり気になっています。何か間違っていたらすいません。ご解答戴けたら幸いです。失礼します。

<石黒>
さすがですね。
本当は史料文を読解すれば興福寺だろうことが推測できます。
その解き方が一番合理的です。
ただし、「法相宗の大本山は興福寺」と覚えていた人は、
不安にさいなまれることなく解答できます。
ほかにも「南円堂」だけで興福寺だとわかってしまう人もいそうです。
ところで法相宗の大本山についてですが、
奈良時代には元興寺と興福寺が法相宗の拠点となり、
その後1882年に、
興福寺・薬師寺・法隆寺の3つが大本山となったようです。
でも今は法隆寺は法相宗から離脱しているそうです。
ただし、こうした細かい知識は受験日本史では必要ありません。
もちろん出題されないからです。
覚えていてもかまわないんじゃないかと考える人がいるでしょうが、
それらの知識が邪魔をして、
正解が見つけにくくなってしまう危険が出てきます。
大学受験の日本史にかぎって考えるなら、
出題されないものは知らない方が幸せなのではありませんか?
入試で高得点を取ることを最優先する人にとっては、
残念ながら歴史事実がどうかは二の次だと思います。
もっとも、出題率を知らない人にとっては、
歴史事実とか、教科書とか、用語集の数字などを、
頼りに学習するしかないのが現実でもあります。
当方は、出題データを取っていますので、
それらに頼っていないわけです。

<Fさん>
丁寧な解答ありがとうございます。興福寺であることは解りましたがエントリーを見て、気になって調べてしまいました。疑問はその都度解決したいもので…。ただ、薬師寺の知識を切っていいことは十分解りました。