2004年早稲田大学人間科学部の問題

早稲田の過去問、3日目の今日はこちらです。
解いてみてください。

下線部n(編注:「6世紀末からの新しい国家秩序への模索」を指す)の施策として、誤っているものはどれか。
ア 憲法十七条の制定  イ 冠位十二階の制定
ウ 遣唐使の派遣  エ 国郡里制の実施
オ 庚午年籍の作成

六波羅ニテ皇子誕生思ヒノ如クアリテ、思サマニ入道、帝ノ外祖ニナリニケリ。
下線イ(編注:上記の史料文中の「入道」を指す)の人物に関する説明で誤っているものはどれか。
1.一門の知行国は30余箇国に及んだといわれる。
2.一門以外の人々を「人非人」とみなしたといわれる。
3.摂政になって「帝」を補佐している最中に病死した。
4.祖父は北面の武士となり、伊賀・伊勢に基盤をもつ一門隆盛の道をひらいた。
5.父は山陽・南海の海賊を討ち、西国に基盤を築いた。


<Yさん>
赤本について質問なのですが人科の2004年大問1の問14です。

6世紀になると社会構造に変化が生じ、それにともない大和王権も動揺をきたした。そこで6世紀末から新しい国家秩序への模索がはじまり~
という文があって新しい国家秩序への模索に下線が引いてあり、その下線の施策として謝っているのはどれか。
ア 憲法十七条の制定 イ 冠位十二階の制定 ウ 遣唐使の派遣 エ 国郡里制の実施 オ 庚午年籍の作成
とあって、全然わかんなかったので遣唐使は秩序の模索じゃないかもって思ってとりあえずウにしたんですけど普通に間違えました。 答えはエで解説を見たら、エの実施は大宝律令施行以後だからってあるのですが・・・ そしたら大宝律令のあと14年で里は郷になっちゃうし国郡里を施行してないのに庚午年籍や庚寅年籍を作成なんかできねーじゃん(ノ゜O゜)ノって個人的に納得いかないのですがやっぱり解説正しいですか?

あと商の2000年の大問2の問B なのですが
愚管抄の史料があって入道に下線が引いてあったのですが内容的にも清盛とはすぐわかったんですが 下線の人物に関する説明で誤っているのはどれか。
1一門の知行国は30余箇国に及んだ
2一門の以外の人々を「人非人」とみなしたといわれる。
3 摂政になって「帝」を補佐してる最中に病死した。
4 祖父は北面の武士となり、伊賀伊勢に基盤をもつ一門隆盛の道をひらいた。
5 父は山陽、南海の海賊を討ち、西国に基盤を築いた。

って問題でまぁ明らか3番違うんで簡単なんですが2番も違う気がしたんですけど、でるとこプラスの授業では平時忠がって習った気がしたのですがこれは清盛で良いのですか?

あと全く関係ないんですが、今日新聞で平安京に十条大路が見つかるって見たんですが、これからの模試や入試の正誤などでは九条大路のまま考える方がいいんですか?

<石黒>
●2004年人科 大問1の問14
遣唐使をなぜ派遣するのかを考えたら、
新しい国家づくりのためだと思いませんか?
また、国郡里と庚午年籍・庚寅年籍の順序を
間違えて理解していますよ。
それ以上については、
夏の早慶向け講座で取りあげますのでお待ちください。
確実に言えるのは、
Y君はもっと時期を意識するべきだということです。

●2000年商 大問2の問B
「人非人」は平時忠の言葉として有名ですが、
清盛も言っていたと推測してください。
僕たちは歴史をすべて見てきたわけではないのです。
それに対して、清盛が摂政になっていないことは、
確実な事実としてわかっていることです。

それから、「平安京に十条大路」ではなく、平城京ですよ?
「十条大路」という目新しい言葉にばかり目がいってしまっていて、
肝心な「どこ」の話なのかが飛んじゃってます。
これは前述の時期の理解が薄いことと共通して
Y君の特徴かもしれません。
細かいことにばかり目がいってしまって、
それがいつのどこの話なのかをスルーしてしまってるわけです。
そして、この十条大路が
そのまま入試で問われることはないと思います。
今後この大路の数を出題する時は、
「羅城門は何条大路にあったか」とか、
「羅城門まで何条あったか」などと出題しなければなりませんね。

最新の話題は、いずれ1月の直前講習で拾いますから、
そんなことには目もくれず、定番の受験勉強に精を出してください。