石田梅岩と太宰春台の時代

だいぶ前にもらっていた質問メールです。

<Oさん>
度々お忙しいところ申し訳ありません。
早慶オープン模試でチェックペンをかけたまま理解できていなかったところを発見しました。前にもブログにエントリーされていたものでしたらすみません。
石田梅岩が心学を唱えていた頃には、為政者の立場にたつ思想家の中にも商業の重要性を認め、藩営商業論を説く者も現れた。
とありますが、自分は化政文化2枚目右の表で「藩専売に商業で…海保青陵!!」とやってしまいました。
解説を読んでみると、あの文化史プリントの、化政文化の中の、表の中でもさらに時期違いを意識しないといけないようでした。
本題なのですが、「藩営商業論」ときたら自分はどうしても藩専売と重商主義のクロスのところを考えてしまうのですが、農本主義の太宰春台も藩営商業論を説くといえるのはどうしてなのでしょうか。『経済録』からもわかるように、この人が経済学を学んでいたからなのでしょうか。よろしくお願いします。

<石黒>
今頃の返信でごめんなさい。
たしかに、石田梅岩が18世紀初め頃だということを覚えてないと、
解けない問題は存在します。
そして、太宰春台も同じ時期だということは、
荻生徂徠との師弟関係でわかるでしょう。
荻生徂徠は吉宗に『政談』を提出した人ですから。
一方、海保青陵の時期はそこから1世紀くらい遅いんです。
この時期しかヒントがないとしたらそれはなかなか難しい問題です。
あくまでも模試なのでそれほど気にする必要はありませんが、
日本史というのは時期を意識しないといけないんだな、
とは思ってもいいですね。
ちなみに本題の「藩営商業論」ですが、
藩専売とだいたい同じ意味ですよ。
農産物を藩が買い上げて他の地域に売るわけですから。
その問題は見ていないのでなんとも言えませんが、
時期で解く問題だと思います。