10月29日に行われる「でるとこ模試」は、
オンライン模試という初めての試みであるため、
スタッフによる予行演習をして、本番に備えております。
ところが、この日は某予備校でも模試があったり、
ワセヨビの校内模試が、この時にかぎって短いサイクルだったりして、
「でるとこ模試」には二の足を踏んでしまう人が多いようです。
南浦和のMさんからは、
「ワセヨビのすごい人は受けますか?」
と頂上決戦を期待する質問を受けたんですが……。
一応、試験日をこの日に設定した理由をお話しすると、
各予備校の講義が明治末まで到達している日曜日と考えたんです。
そうすると、この日が一番早いんですよ。
できるだけ早く模試をやって確かめないと、弱点がはっきりした時に、
軌道修正する時間が確保できないですからね。
それにしても、昔のワセヨビだったら‘ウィークリー模試’といって、
なんと週イチで模試をやってたんですけどねえ……。
そんなわけで、今日はそのウィークリー模試を受けていた頃の、
ワセヨビの卒業生O君からのメールを紹介します。
長文なので、息抜きの時間にお読みください。
<Oさん>
1997年度早稲田予備校高田馬場校で授業を受けていたOです。二学期の授業も始まり相変わらず大変な日々を送っている事と思いますが、お変わりないでしょうか。我が家は今日雨漏りが酷くて大変でした(およそ200年前に立てられた茅葺の家なのです。イメージとしてはこんな感じです。
どちらかと言えば2枚目の方が近いですかね。(画像はイメージ検索で適当に見つけたものです)そんな家の中で光ファイバーでインターネットと言うのも面白いものだと思います(笑))。
さて、件名にあるとおり、受験など10年近く前にやった古強者…ではなく落ち武者からの質問なのですが、実は今度歴史検定を受けてみようと思っています。それで、私が受験生当事に使っていた参考書や問題集、ノートなどで勉強しようと思っているのですが、大丈夫でしょうか?
当時のノートや参考書、問題集の内容から結構変わってきている事も多いように感じたのです。鎌倉幕府が1185年と言うのは有名ですが、それ以外にも化石人骨は殆どが新人の時代のものであったと聞きましたし(私はノートに牛川人骨は旧人と書いていました。葛生人骨も旧人)、そもそも『神の手』事件でおそらくかなり私が習った時代とは遺跡に関して大きく変わったのではないかと思っています。また王仁は存在がそもそも非常に怪しかったり、三光作戦も中国の創作でしたし。和同開珎も当時の用語集ではわが国最初の銭貨、と書いてありますが、それ(私が受験生だった時)以後に富本銭が見つかっていますし。
歴史検定試験2級(せっかくですから1級を受けようかと思ったのですが今1級はやっていないみたいですね)の合格最低ラインが6割弱と言う事を考えると誤差の範疇で済ませていいのかもしれませんが、何となく本格的に勉強を再開してみようかな、と言う気になったので、昔の参考書やノートがどれ程今の試験に耐えうるのか知りたくなったのでメールを差し上げました。
思えば合格した後にお礼に伺えばよかったのですが(残念ながら第1志望ではありませんでしたが。受験生の失敗の典型例である、『日本史は良かったが』、と言う奴です。ただ現役生の時は3教科全てが偏差値20だったり30だったと言う事から考えると少しだけは進歩しましたが。偏差値60や70なんて見た事ありませんでしたから。偏差値ではなく100点満点の試験の得点ですら見たことがなかった数字ですからね(笑)。「宋書倭国伝?なにそれ?」と言うレベルでしたから。思えば早稲田予備校の第1回目の校内テストで(毎週月曜日にありました。今はどうなのでしょうか)先生に教わったとおり勉強したら91点を取る事ができて(今でも覚えている(笑))、ターミやハイパー90(今はどういうのか分かりませんが)のような選抜クラスの生徒を抑えて誰でも受講できる早大文科系 慶応・上智併願コースの私が上位にランクインして発表された時は非常に嬉しかったです。現役時代は勉強と言うもので脚光を浴びた事が殆ど無かったものですから、そんな私でもやれば出来るんだということが分かってそれがやる気にも繋がりました。ただ繋がりが強すぎたようで(笑)。ちなみに前述の宋書倭国伝はその時のテストで間違えた問題です。隋書倭国伝と答えてしまいました。今でも覚えています。これが出来ていれば93点で、もっと上位に行けたのですが)、何となく行きそびれているうちに実家に帰ることになってしまい、その時(2004年11月)に私の地元のお酒でも持って伺おうとしたのですが、実家に帰ることが決まって、引越しの準備を始めてからアパートを出るまでの時間があまり無かった為、結局お礼を言えずじまいで今日まで至ってしまいました。
直接会ってと言うわけにはいかないのが非常に心苦しく、また9年も昔の事ですが改めてどうもお世話様で御座いました。日本史は予備校時代に一番伸びた教科になりました。現役時代は正直合格なんてどこも夢物語みたいな話で(模試は悉くE判定)、それが受験料を払って名前と受験番号さえ書ければ合格できるような大学以外の大学に合格できるなんて考えられませんでした。正直合格した大学も日本史で合格したようなものだったと思います。今度東京へ行く機会があればその時には予備校の方にお伺いさせて頂こうと思います。
またよければ落ち武者の戯言でも聞いてやって下さい。こちら(宮城)では残暑らしい残暑は残っていませんが、先生もお体大切にして下さいませ。先生の体は生徒にとっても非常に大切な体ですから(笑)。今度の歴検合格の際はすぐに報告致します(笑)。それではまた、失礼致します。
<石黒>
返信が大変遅くなり申しわけありません。
茅葺きの家に住んでいるとは驚きました。
歴史検定ですが、
だいたいは当時の参考書などでも大丈夫だと思います。
ただし、考古学系のことは捏造や新たな発見があって、
教科書のあちこちが書き換わっています。
このため、浜島書店の資料集(図説)を購入して、
それらを確認するのがベストです。
それから、王仁や三光作戦については、
どこかで知り得たことがあるのかもしれませんが、
教科書では普通に事実として書かれています。
歴史検定で得点をするためには、
あくまでも教科書の記述を優先するべきです。
そういう意味では、
山川出版の新しい教科書を購入されることをお勧めします。
最近は北条実時のことを金沢実時と記述したり、
いろいろ名称が改められています。
それほど気にする必要はありませんが、
一度通読した方がいいかと思います。