地租改正のグラフ

生徒からいろんな質問を受けますが、
定番の質問については、授業中にその質問と答えを紹介しています。
しかし、一方でわざと紹介しないものもあるのです。
それは、深く考えた人にだけ湧いてくる質問です。
別の言い方をすれば、
「この質問をしてきたら、よく勉強してる証拠だな」
ってわかる質問とも言えます。

今日はそういうタイプの質問を一つ紹介します。
「地租改正後の小作人生産米の配分の変動」
のグラフに関する質問です。

地租改正後の小作人生産米の配分の変動

まず、そもそもこのグラフの意味がわからないと始まらないのですが、
ひとことだけ言うと、米価が上昇していくのにともなって、
地主の手元に残る米の量が増えたってことです。
そして、この「米価上昇」ってところに疑問を感じるわけです。
ちょうどワセヨビのY君からの質問メールがあるので、
それを紹介します。

<Yさん>
松方デフレで、物価は下落したんですよね?そうしたら、地主は困ることになるのに、28番ページに貼った「地租改正後の小作人…」のグラフで、1881~89年の間の地主の取る量が増えているのはおかしいのではないでしょうか?

<石黒>
お答えします。
2段目のグラフが1881~89年の松方デフレの時期を含んでいるのに、
その時期に米価上昇とはどういうことか?
って疑問なわけですね。
グラフをよく見てください。
1段目のグラフはあくまでも1873年限定の状態なのです。
その後、大隈財政のインフレ政策で物価はかなり上昇したのですが、
その時期の状態を示すグラフはそこでは省かれているのです。
そして、1881年から物価は下がったのですが、
1873年レベルまでは下がらなかったのですよ。
たとえていえばこんな感じなのです。
1873年………米1石=100円
1874~80年…米1石=200円
1881~89年…米1石=150円
よくある教科書のグラフでは、
この1874~80年の状態を示すグラフは省かれています。
これを挟んでしまうと「米価が上昇して地主がトクした」という流れが、
つかみにくくなってしまうからなのでしょう。
浜島書店の資料集『新詳日本史』などでは、
その時期のグラフも掲載されています。さすがですね。

ちなみに世の中では、
自分に都合のいいグラフを作って他人を騙すことが、
ものすごくたくさん行われています。
それを見抜ける目を養いたいものですね。

ところで、「でるとこ模試」の申し込み受付が始まったのですが、
河合塾生を中心にあちこちから参戦してくださっているようで、
本当にありがとうございます。
高得点が予想される人の名前もちらほら見えるので、
激しいバトルになりそうです。
暗中模索で始める模試ですが、非常に楽しみになってきました。
おかげで解説を書くのにも力が入ります。

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