現役高校生が大学受験をするにあたって、最大の悩みがこれですね。
今日はそんな悩みの中で学習院大に合格したKさんを紹介します。
<Kさん>
石黒先生、こんにちは。
私は去年の九月から早稲田予備校西船橋校で日本史の授業を受けていた者です。すっかり遅くなりましたが、受験の報告をしたくメールしました。
学習院大学文学部英米文学科
明治大学文学部英米文学科
東京女子大学文理学部英米文学科
神田外語大学外国語学部英米文学科
の四つに合格して、学習院に進学することにしました。
第一志望だった上智大学文学部英米文学科には見事不合格でショックでしたが、私はスタートが他の受験生に比べかなり遅かったので甘かった…と反省しつつ、間違えたところを見直して、東女、学習院、明治に挑みました。
先生のブログに紹介されるような偉人の皆さんの足元にも及ばない結果で、なんだか石黒先生の授業を受けられない事情の人たちにも申し訳ないし、一家の恥的存在になりつつあるので(父も兄も頭がよくて…/笑)浪人してもっと上のレベルを目指そうかと考えたりもしましたが、兄もまだ大学院に通うから私が浪人したらお金がかかるし、バイトしながら浪人というのも落ち着かない気がして学習院に進学することにしました。
報告が遅くなってすみませんでした。
私は六月まで部活が忙しく、予備校とかに行くために部活を早退したり遅刻したりすることができませんでした。引退後は高校名物の文化祭準備が(NOと言えない日本人なので、素直に参加してました…)夏は徹夜での装飾作業合宿をして、その朝から一日中劇の通し練習をさせられるという日もあり、当然勉強は手付かず。皮膚も弱かったので全身に湿疹が出て、酷いかゆみで何もできず…夏休みになんとか申し込んでギリギリの状態で挑んだ先生の早慶難関大日本史の講座、忘れません。あのときに先生の授業を受けていなかったら、私はその酷い状態のままだったでしょう。それまでは学校の授業の日本史を復習したりする程度の、本当に甘い勉強でしたから。あの講座で、私はレベルの低さや意識の低さを、周りの生徒さんたちの必死な姿勢とか、何よりも授業中の先生の言葉に、改めて痛感させられました。
九月もまだ文化祭の準備で六時半まで毎日作業していたため、二学期最初の授業に遅れて行ったのを今でも覚えてます。先生は覚えてますか?二コマ目から参加して、プリントがないのにボーッとしてたのが私です!知り合いが居なかったし、授業の展開も速いし、終始泣きそうでした…。
なんとか追いついてやろう、ギャフンと言わせてやろーと意気込んで、穴が開くほど先生を見つめ、見つめたままメモを取る手段で、授業は毎回緊張してました。
六月の時点で日本史の偏差値は38、九月も42でしたが、十二月には62まで上がりました。石黒先生の日本史だからこそ、あんなにスタートが遅かった私もでるところを重点的に勉強できたのだと思います。
ただ、偉人さんたちレベルの勉強方法を取り入れるのも遅かったので、やはり上智の壁は越えられなかったということでしょうか。
喋ったり歌ったり踊ったりしながら日本史を唱える勉強の大切さに気づくのが遅かったです。
今思えば、部活や文化祭準備に要領悪く参加してた私が駄目なんですが…。
先生の授業は内容に無駄がなくてテンポがよく、勉強方法とか偉人さんの伝説も聞けたし、私は『○○大、でるよ』っておっしゃる先生がツボでした!すごいデータ!って感動してました!
石黒先生の日本史に出会えて本当に良かったです。浪人する友達にもおすすめしておきました(^□^)
本当にありがとうございました。
新年度の授業も、お体に気をつけて頑張ってください。
<石黒>
Kさん、合格おめでとう。
上智は残念でしたが、
スタートが遅かったというのに、学習院とはすごいですよ。
「NOと言えない日本人」には笑いました。
僕自身にもそういうところは多分にあります。
それでもKさんがすさまじい偏差値アップを成し遂げられたのは、
‘自分は周りの人よりも遅れをとっている!’
という意識をちゃんと持っていたからこそではないでしょうか。
2学期の授業で遅刻してきた時のことは、なんとなく覚えています。
それもあってか「あまり受験に力を入れているわけじゃないのかな?」
という第一印象だったので、
その後の、授業を熱心に聞く態度とか、
早慶難関大の日本史を取っていることに驚いていました。
しかし、「喋ったり歌ったり」はまだしも、
「踊ったりしながら日本史を唱える」というのは、
どういう感じなのでしょうか…?
ちょっと見てみたいです。
でるとこスタッフの中に、このKさんと同じ高校出身の人がいるので、
文化祭について聞いてみたところ、
「夏休みなのに、普通に毎日学校に人が来てる」と言っていました。
僕の高校はそうしたことに全然力を入れてませんでしたから、
とても想像できません。
文化祭も体育祭も簡単に終わらせて、
バカみたいに名古屋大学の合格者数にこだわっていた高校でした。
今でも腹立たしいのは、成績別クラス編成だったため、
落ちこぼれの僕は私大文系クラスに回され、
数学の授業が受けられない極悪環境に置かれたことです。
共通一次試験(今のセンター試験のこと)でも二次試験でも、
どちらにも数学が必要だったんですけどねえ……。