幕末にフランスに渡っていた渋沢栄一

今週の通年授業は産業革命からでした。産業革命の立役者に渋沢栄一がいます。そこでこの機会に、王子にある渋沢史料館に行ってきました。

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埼玉県深谷の豪農の家に生まれた渋沢栄一は、幕末、尊王攘夷運動に走り出したことがあります。しかし思い直し、京都に出て一橋慶喜に幕臣として取り立てられました。その関係で1867年には、パリ万博に参加する幕府使節団の一行に加わりました(この使節団を率いていたのが、慶喜の弟・徳川昭武(あきたけ)だったことは入試でたまに出題されます)。

もっともこの使節団がフランスから帰国したのは、すでに幕府が滅んだ後でした。渋沢はヨーロッパで得た知識を買われ、新政府の役人になりました。国立銀行条例を起草したのはこの時です。大蔵省では大隈重信らとも交わっています。

その後1873年に官を辞し、以後は民間にあって経済の発展に尽くしていきます。第一国立銀行の頭取をつとめるいっぽう、大阪紡績会社をはじめ500を越す会社を設立・育成しました。外国にも何度も足をはこぶなど、実に精力的な活動ぶりでした。亡くなったのは1931年。91歳でした。

幕末から維新期の腰の軽さがスゴイですね。その後の幅広い活動にも目を見張ります。活動的な人を目にすると刺激を受けますね。もっと自分も何かしたいものです。

でる日講義-経済・外交史(近現代)-

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