今年の早稲田の正誤問題は、手こずる問題が多くて四苦八苦しています。とりわけ法学部にはやられました。先ほど、IIの問10の解答を修正いたしました。
その法学部の問題について質問が届いています。
<Tさん>
お久しぶりです。日本史は石黒先生の教材のおかげで、いまのとこはMARCHは明治中央法政がとれました。おかげさまでありがとうございます。自分は政治史は石黒先生の授業を受けていない分、映像教材を使わせていただいている、文化史・テーマ史では点数を落とさないようにできるだけ心掛けています。
昨日の早大の法学部の問題を代ゼミのHPでコピーしてやってみて、石黒先生の解答速報を使わせてもらって答え合わせしたのですが、難しいですね・・・。 でも早慶大日本史でやった、ゾルゲ事件でましたね!^^先生の授業を取っている生徒さんはどのくらいとれるものなのでしょうか(><)ちなみに僕は29/40問でした。低いですかね(汗)
そこで質問なのですが、IIの方丈記の史料の問題で、
5「西南海の領所を願ひて、東北の庄園を好まず」よりも後であるものはどれか。
あ、受領某は~
い、有力者某は、国衙~
う、荘官某は~
え、権門某は~
お、有力者某は開発~
6「家はこぼたれて淀河に浮かび」「日々にこぼち、川も狭に運び下す家」とは、「この京」の建築物を新都に移すため、部材を淀川水系を使って運んだことを指す。この淀川水系に関する次の記述のうち、明らかに誤っているおものをえらびなさい。
あ、孝徳天皇が造営し、~
い、平安時代、白河・鳥羽・後白河の~
う、中世の西国庄園から~
え、徳川家康は~
お、角倉了以が京から~
の2問の解き方が良くわかりませんでした。実際に受験した生徒さんの質問等優先で全然かまいませんので、いつでもいいので返信いただけたら幸いです。よろしくお願いします。早稲田は、これから教育・商・社学の3つ受験予定です!
<石黒>
II5の「う」は地頭請の説明です。これは解いてほしい問題です。6の「え」は徳川家康ではなく豊臣秀吉です。伏見城をつくったのが秀吉だったことを考えると誤文と推測できたかもしれませんが、さすがに難問です。全体のパーセントは正直もの足りませんね。まだ上を目指してほしいと思います。各大問の難易度は、ブログではなくサイトの方で見ることができます。本当に捨て問と言えるのは、それほど多いわけではありません。
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