2013年度のおめでとうなみなさん(3)

今日は河合塾生からの合格報告を紹介します。高卒生とちがって、なかなか4月から受験本格スタートとはいかない現役生に向けてのアドバイスもいただきました。ブカツ派の新高3生は参考になるはずです。

<Nさん>
お久しぶりです!!!(中略)入試の結果を報告させていただきます!

合格大学
●センター
明治大学文学部地理学科
立教大学文学部史学科(特待生)
駒沢大学文学部地理学科地域文化研究専攻
●一般
明治大学文学部地理学科(全学部統一・特)
法政大学文学部地理学科(特)
早稲田大学文化構想学部
早稲田大学教育学部地理歴史専修
早稲田大学商学部
早稲田大学社会科学部

おかげさまで、受けた大学全てに合格することができました。

高2までは学校のテストでも、模試でもいい点だったので、正直日本史をナメきってました。。。天皇の名前もちゃんと覚えてなかったし、時系列も超曖昧でした;; 3月頃、なんとなく申し込んだ石黒先生の体験授業で「このままではイカン!!」と焦り、当初受講予定のなかった日本史を親にお願いするのに気が引けて、半分自腹切るからお願い!と頼み込んで受講させてもらいました。

私は本格的に赤本をやり始めたのが夏休みの終わりとかなり遅く、しかもその復習の仕方がポンコツ(40面ノートでその用語に付箋を貼るだけ)だったので、模試の点は良くても赤本で点が伸びないという典型的なダメスパイラルに陥ってました。赤本の点が良くなっていったのは、早大オープンを終えた頃です。ノートにただ付箋を貼るだけでなく、その付箋に「どのように聞かれて間違えたのか」を記録していくことで、その用語の聞かれ方を頭にストックし、様々な見方からその用語を見ることができるようになりました。

お恥ずかしい話ですが、私は石黒先生の要求レベルには到底届かない生徒でした。復元も8割くらいしかできませんでした。先生の話をすべてメモに取るようになったのも、2学期以降です。1学期は、超大事な話もメモを取らず聞いただけで満足していました。赤本の演習量も圧倒的に足りず、焦って12月の下旬に「早稲田の日本史」を2周ぐらいしましたが、早稲田の日本史は収録されている問題の難易度が大問ごとに違いすぎて、正直あまり得点アップにはつながりませんでした。やはり、早稲田の”生の”赤本に当たることが重要なんだと痛感しました。1月の初めの南浦和での発展の講座で、先生からイギリスつながりでヴィッカース社を答えさせる質問をされて、正直全く思い浮かびませんでした。頭が一気に真っ白になって、シーメンスさえも思い浮かびませんでした><;;本当に悔しくて恥ずかしくて、自分のノート覚えの甘さを身にしみて感じ、そこからはとりあえずセンターに向けてひたすらノートを紙に書く、しゃべる、覚えにくいもの、今まで自分が逃げてきたもの(例えば34番ページの社会運動とか...)をすべてマッキーで大きく書いて家中に貼りました。社会運動は何度やっても覚えられず途方にくれていたのですが、わら半紙5枚を横につなげて廊下に貼り、廊下を通るたびに全て喋って覚えてました。その追い込みが効いたのか、センターでは日本史満点でした(*'▽'*)! 試験本番では思い通りに行かないことが多く、悔しい思いも多かったです。一番悔しいのは、第一志望の教育で赤本では日本史8割5分以上だったのに、本番では記述を3つも間違えた上に、8割だったことです(;_;)商学部でも最後の大問でやられて75%でした。英国もそんなに良くなかったので、なぜ受かったのか今でも不思議です。絶対ギリギリです笑 私が追い込みをかけたのはホントに最後の最後でしたが、それでも合格できたのは一年間ずっとしゃべり勉強をしていて、偉人のエピソードを頭に入れて辛くなっても「あの人はもっとやったんだ、自分にもできるはずだ!!!」と自分を鼓舞できたからだと思います。あと、赤本の最低点を目指さず、日本史は9割、英国でも8割を狙って勉強したことも良かったのかな、と思います^0^ 石黒先生の意識の高さに引っ張られなければ、私の合格はありませんでした。中2の時箱根駅伝を見て、わ、早稲田ってカッコイイ!と思って以来、早稲田に入ること以外考えてきませんでしたが、本当に受かったと思うと、何だか不思議な気分です。4月からは、早稲田教育の地理歴史専修に進みます。どうしても地理学がやりたかったので、第一志望に受かって非常に嬉しいです!!!!石黒先生に出会うことができた私は、幸せ者です(*>∪<*)一年間、ありがとうございました。先生最高です!!長々とすみません><;

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