2つの大学の問題について質問が届いています。
<Tさん>
河合塾藤沢現役館で授業を受けさせていただきました、Tです。大変お忙しい中、誠に恐縮なのですが、正確に答えを知りたい問題が二つありましたので、メールをさせていただきました。
まず、2月10日の中央(文)の問題です。早稲田にちょっと活きそうなので、質問させていただきます。※史料があまりにも長いので、下線部の前後数行の引用としました。すみません。
[史料文]
これと同時に政府自身においても真剣になり、真面目になって、もって国事に当たらねばならぬのではありませぬか。<しかるに歴代の政府は何をなしたか。事変以来歴代の政府は何をなしたか。二年有半の間において三たび内閣が辞職をする。>政局の安定すら得られない。こういうことでどうしてこの国難に当たることが出来るのであるか。
[問]下線部(<>の部分です)について、事変勃発以後辞職した3内閣の総理大臣の姓名を古い順に示せ。
→斎藤隆夫の演説なのですが(やっぱり、出ました!)、リード文に「昭和15年2月2日の演説」とあったので、反軍演説だということはすぐにわかりました。となると、40年2月−37年7月は2年余りですし、先生が授業で、「日中戦争は当時、北支事変などと呼んだ」とおしゃっていましたので、事変=日中戦争と考え、近衛、平沼、阿部の三人の姓名を書いたのですが、実際のところはどうだったのでしょうか。
二つ目は、昨日の明治(文)の問題です。※こちらも史料は一部分です。
[大問]次の近現代の詔書について、以下の問いに答えよ。
[史料文]然るに不幸にして(b)の所見之と背馳するもの有り。朕すなはち<政府>をして慎重審議ついに(b)を離脱するの措置を採らしむるに至れり。
[問]下線部(<>の部分です)について、誤っているものを選べ。
(1)この内閣の外務大臣は、極東国際軍事裁判で被告になった人物である。
(2)この内閣の総理大臣は、2.26事件で暗殺された人物である。
(3)この内閣の文部大臣は、京都帝国大学の滝川幸辰に辞職を求めた人物である。
(4)この内閣の大蔵大臣は、2.26事件で暗殺された人物である。
→史料の冒頭に、「帝国は(b)に十三年余り協力してきた」というような文脈があったので、国連脱退を天皇目線でみた文章と判断しました。すると、選択肢は、
(1)→内田から広田に代わっているから、現時点では保留。それに、内田のその後がよくわからない。
(2)→斎藤で〇
(3)→鳩山で〇
(4)→高橋で〇
となり、結局、(2)~(4)は明らかに〇なので、(1)にしたのですが、実際はどうなのでしょうか。何かポイントはあったのでしょうか。大変長くなってしまい、本当に申し訳ないのですが、よろしくお願いいたします。
<石黒>
1つめの問題は近衛文麿・平沼騏一郎・阿部信行で正解です。今、東進のHPを見たら「若槻礼次郎・犬養毅・斎藤実」となっていましたが、解答ミスです。
2つめの問題は消去法で解いて(1)です。内田康哉は1936年に没しています。ただし、鋭い指摘の通り、広田弘毅で考えると(1)は正文です。作問者はそこまで気が回っていなかったのでしょうね。作問ミスと発表するかどうか、明治大学のHPをチェックしてみてもおもしろいかもしれません。両問ともよく解けましたね。すばらしいです。それにしてもこの明治大の史料は、2002年の文学部で出題されたものとまるっきり同じですよ。
その後、問題を全部見てみたところ、上記の問題の大問は、史料4つとも2002年の大問と同じでした。しかもそのうち3つは、ワセヨビの冬期講習「早慶難関大の日本史」に抜粋してあったのです! 生解説もしてました! 試験会場で「おーっ!」と叫んでくれた方はいるのでしょうか……。
携帯でごらんの方は、こちらからご登録ください。