地道な積み重ねで打ち破った壁

「おめでとうなみなさん」に投稿してくださる方の中には、
かなり長いメッセージを書いてくださる方がいます。
「そんなドラマがあったのか」と驚くこともしばしばです。
今日はそのうちのKさんからのメッセージを紹介します。
現役で早稲田大学に合格した方です。

<Kさん>
こんにちは!河合塾藤沢校でお世話になった者です。早稲田大学教育学部国語国文学科に合格できましたので、ご報告します。私は学校で9月まで体育祭のパートリーダーをしていました。夏は3時間睡眠や徹夜での作業がザラで、夏期講習も意識が飛ぶことがあり、録音に頼る状態でした。少ないながらもつくった時間は、立ちながら聴くだけ日本史を詰め込み、座れるときは40面ノート覚えに費やしました。3科の中では日本史の成績が1番悪く、初期の模試では警告マークが付くほどの実力だったので、腰を落ち着けて勉強し始めた時は石黒先生の教材にすっかり依存させていただきました。苦手だった史料問題も、出やすいものを的確に示してもらえるとこんなにやりやすいのか、と感動しました。データの力はやっぱりすごいですね…!11月の時点でも早稲田E判定でしたが、『これっぽい』で解いていたものが『これしかない』で解けるようになって、勉強が定着してきたと認識できる希望の光になりました。その後は偏差値がどの程度上がったかを知ることができないまま本番に向かうことになりましたが、前より確実に解けるようになっているのを実感できていたので(初めが低すぎただけですが)このままどんどん上げるぞ!という勢いでのめりこんで勉強しました。年が明けてから更に追い込み、と思っていたのですが…本当に何が起こるか分かりませんよね。年明けに身内に不幸があり、大好きな大好きな人の突然の訃報だったので全く立ち直れなかったんです。勉強しても問題文の上を目が滑っていくだけで焦りもつのって…早稲田にいきたい!という思いは残っていたものの、来年を視野に入れ始めました。親も状況を鑑みて現役合格はあきらめて見守っていてくれました。センターはどの教科も時間内に終わらず、散々な結果で、センター利用もできず、その後の大学も落ちました。来年のため、少しでも場慣れしておけるようにと、早稲田は文構、国教、法、文、教育を受けたのですが、正直前半戦までは記憶が無いんです。完全に頭が現役合格から遠ざかっていたというか…。ところが、法の問題で菅原道真を答えるところがありましたよね?あそこで、ふと先生の『受験生で大宰府と菅原道真答えられないなんて許されない!』が石黒ボイスで脳内再生されたんです(笑)1月から心ここにあらずだったけど、なんだ私もまだ受験生としてはずせないとこ、ちゃんと取れたじゃないかと。こんな状態じゃ無理だって諦めて、周りの言葉に甘えて今までの3年間の勉強は頭に入っているのに、どうしてここ1ヶ月それを引き出す努力をせずにぼけーっとしていたんだろうかと。そう思ったら文、教育は目が覚めました。どの教科でも。だらしのない期間があったぶん、そう簡単に復活できるとは思っていなかったけれど、少なくとも文と教育はただ受けただけ、でなく、力を出し切った、と思って帰ってこられました。道真さま?いやいや、石黒さま!です。
私は、学校で仕事を終わらせてから塾へ行くとどうしても後ろの席しか座れず、頻繁に講師室へ足を運ぶタイプでもなく…そもそも書かれたこと、言われたことを丸呑みするので精一杯!なやつだったので、ついて行ってはいるけれど、物理的にも精神的にも石黒先生とは距離があると思い続けていましたが、受験会場で先生に助けていただいたなと思っています。周りにもうれしい誤算と言われた、良い報告ができたのは、石黒先生の日本史のおかげです。本当に本当にありがとうございました!ぜんっぜん ひとこと じゃなくてごめんなさい。長文失礼しました。

いやあ、あなどれませんね、菅原道真は。
それは冗談として、実際の話としては、
ご家族の不幸でKさんの頭の中が凍結してしまったものの、
それまでの蓄積は消えずに残っていたということなのでしょう。
単純丸暗記だったら忘れるのかもしれませんが、
そんな一夜漬け的な記憶ではなかったということです。
彼女からは何度か質問を受けましたが、
その質問内容から頭の良い人だってことはわかっていました。
さすが、としか言いようがありませんね。

これから受験するみなさん、
「一夜漬けではない学習」これは大変重要なことですよ。