今日は質問メール特集です。お答えいたします。
<Sさん>
河合塾南浦和現役館で通常授業の早慶大日本史を受講してる者ですが質問です。授業ノートの1に板付遺跡・菜畑遺跡は縄文晩期と分類されているんですが、読むだけ日本史のP15の各時代の遺跡という図では弥生時代に分類されています。下の文には縄文晩期と書いてあります。縄文晩期で正しいんですよね?
<石黒>
板付も菜畑も、縄文晩期から弥生時代にかけての遺跡です。こういう場合、弥生時代に区分します。ただし、この2つの遺跡からは縄文晩期の水田跡が発見され、それがもっとも意義深い点なのです。そのため、そういう文章となっています。
<Sさん>
後漢書東夷伝が成立したのは5c、魏志倭人伝が成立したのが3c、でも内容は魏志倭人伝のが新しいですよね。なんか変じゃないですか?
<石黒>
いや、それで正しいのです。後漢書はだいぶ後になって作られたのです。だから3世紀成立の『三国志』を参考にして書いた部分も多くあります。実は邪馬台国のことも出てくるほどです。ただし、57年、107年、2世紀後半の日本の様子については、後漢書ならではの記述なのです。この3つのことは後漢書でしかわからない内容なのです。
<Mさん>
早慶大日本史の冊子のP25の(4)の平安京のところは授業で触れなかったと思うのですが、どのように使うべきなのでしょうか?
文化史MDのおかげで時代と共に美術作品を非常に効率よく覚えられたので、文学作品の方も楽しみにしてます。お忙しそうですが、出来るだけ早く発売して欲しいです。移動時間をこんなに効率良く使える教材はないんで。
<石黒>
藤沢現役館の早慶大日本史の受講者のみなさん。ごめんなさい。あれは時間切れで説明できませんでした。というわけで説明します。
平安京の宮城(大内裏)のことを平安宮といいますが、その中の建物を名称を覚えよう。
(1)は天皇のプライベートスペースである内裏。
(2)内裏の中心の建物で紫宸殿(ししんでん)。
その前には桜と橘が植えられているが、木の種類を覚える必要はない。
(4)官人たちが政務をとる朝堂院。(3)朝堂院の中心の建物である大極殿。
(5)朝堂院の正門である応天門。(6)大内裏の正門の朱雀門。
という感じです。
文化史MDの続編は、映像教材の後ですね。もし映像教材を購入してくれるなら、それが相当密度が濃いものなので、しばらくはそれに専念していてください。