エセ情報に惑わされる高校生

ときどき現役高校生の中に、
学校の先生や友達の声にまどわされる人がいます。
これが高卒生なら、予備校でしか日本史を習っていないため、
雑音を聞かずにすみ、予備校の授業に専念できるのですが、
学校という場で、いろんな人と接する高校生は危険です。
別の予備校に通う友達と、ノートの比較大会になりがちです。
そして定番の会話が、これです。

友達「そんな用語、出ないよ」(40面ノートを指しながら)
生徒「そんなことないよ。うちの先生データ取ってるって言ってたし」
友達「あれ? △△が書いてないじゃん。△△って重要だよ!」
生徒「そうなの……?」

僕から見れば、
「おいおい、その重要って根拠はどこにあるんだよ?」なんですが、
こういう会話では、声の大きい方が勝つものです。
僕の授業の受講生が弱気な人だったら、ひとたまりもありません。
なんだかいじめられっ子を持つお父さんの気分になってきます。
でもまあ、そうしたエセ受験日本史情報が出回っているからこそ、
本番の入試でこっちがトクするわけですから、
僕としては、ただほくそ笑んでいればいいんですけどね。

しかし、学校の先生までもが、
そうしたエセ情報を言うこともあるんです。
さすがに「生徒を騙すなよー」って言いたくなります。

先日もそんな話をある高校生から聞きました。
学校の先生が「向ヶ丘貝塚って大事だよ」って言ってたというのです。
僕は、それが慶應と上智で出されたことを知っていましたが、
わざと通常授業では扱いませんでした。
Dランク用語は、通年授業では全部を網羅していません。
ワセヨビなら「でるとこ日本史プラス」と講習でやりますが、
河合塾なら講習で、できるかぎりパワーアップしています。
地方のかたは『難関大用語集解』で網羅していますよ。

さて、その高校生の話を聞いて、
ついイジワルゴコロが芽生えてしまいました。
そこで、「なんで大事なの?」と聞き返してみたのです。
そうしたら、
「弥生土器が初めて見つかった遺跡で、初めてシリーズは大事だから」
と言うのです。
あー、昔、そういうこと言っている日本史講師がいました。
それにつられて僕も「初めての○○」を、
いろいろチェックしたことがあるんです。
ところが、いくら出題データを取っていっても、
ほとんど出題されないものがあるんですよ。
今思えば、正確な出題情報を持っていなかったから、
「初めて」とか「最後の」とかっていうだけで、
重要って思ってたんでしょうね。
さらにイジワルゴコロで言ってしまうと、
そういうことを言う先生は、たいてい、
「三関」「三筆」「三蹟」などの「3シリーズ」や、
「四鏡」「六歌仙」「八代集」などの、
「数字シリーズ」にもこだわるんです。
ほかにも「○周年」にこだわって、
「今年はこれが来るよ」って言ったりもします。
実際はなんでもかんでも出るわけではありません。

というわけで、そういう先生の話を聞くと、
「ああ、そういうことでしか重要って言えないんだろうなあ」
という憐れみの感情が湧いてくるほどです。
……ちょっと言いすぎましたね。すみません。
歴史学的に「大事だよ」とか、
学校の定期テストに「出るよ」という意味なら
何の文句もありませんが、
大学入試において「重要」とか「出る」とか言われると、
正確に出題データを取っている身としては、
どうしても黙ってはいられなくなってしまうのです。

それにしても、こんなふうに惑わされている生徒に対しては、
言いたくなることがあります。
「もっと確実なものを信じなよ!」と。
自分の判断基準に自信が持てない人は、周りに流されがちです。
友達や先生との関係で、自分の方が弱い立場にあったりすると、
ついつい、強い彼らに同調してしまうのです。
なんだかかっこ悪いと思いませんか?
そういう弱い人が、僕の授業に「信」を置けないのは当然です。
なにしろ自分にさえも自信が持てないのですから。
過去にもそういう人は何人もいて、
それを見聞きするたびに悲しくなったものです。
でもね、そんな中から脱皮できる人もいるのです!
そこが「教える」仕事のおもしろさです。
さあ、この彼はどうなるでしょうね。