賢人からの合格報告

冬期と直前講習しか僕の授業を受けていなかったのですが、
みごと早稲田政経に合格したI君から、
非常にありがたいメッセージをいただきました。
諸事情により、あちこち伏せ字にして紹介させていただきます。
ご了承ください。

<Iさん>
(前略)石黒先生との出会いは、まさに奇跡でした。
僕は、部活の引退が7月だったので、2学期から××に入塾し、
そしてただ「有名だから」という理由で、
△△で有名な○○先生の□□を受講しました。

しかし、いざ授業を受けると、
○○先生には失礼ですが、
今考えると石黒先生の授業とは比べ物にならないくらい
ひどい授業でした。
雑談が非常に多く、
そのため毎回1時間延長するので時間ばかりかかり、
にもかかわらず得られる知識量はとても少なく、
なぜ有名なのかわかりませんでした。
本当です。
何度もやめようかと考えましたが、
さすがにすべてが無駄というわけではなかったうえ、
他の先生の授業を受けたことがなく、
途中で授業を替える勇気がなかったので、
「必要なところだけを吸収してあとは自分でやればいいや」と思い、
補充問題など別のことをしていました。
そして、冬期と直前講習もとりあえず
○○先生の講座を取ろうか…と考えていました。

しかし、運か不運か(笑)
冬期講習と学校の授業が重なっていて受講できなかったのです!
そこで、他の講座を探したところ、石黒先生の名前を見つけたのです!
たまたまでるとこのサイトに行き着いたこともあって、
お名前だけは知っていました。
また、ちょうど同じタームに藤沢で授業を取るつもりだったので、
それも奇跡でした。
さっそくサイトを端から端まで見て、受講することを決心しました。

そして、僕は忘れません。
1月2日、藤沢現役館別館の階段に並び、
ふと隣の人が見ていた40面ノート(だと思われるもの)を
のぞいた時に見えた、「大木喬任」の文字を。
聞いたことはありましたが、何をした人だか全く知らず、
日本史が得意だと思っていた僕はレベルの高さに衝撃を受けました。

授業が始まると、さらに衝撃の連続でした。
今まで「細かすぎる」「覚えなくていい」と言われ、
そう思っていたレベルの用語の数々を普通に扱っていたのです。
先生が軽い質問を投げかけ、「簡単か…」とつぶやくたびに、
答えられない自分に動揺し、
「○○さんは何%で落ちた」というデータを聞くたびに、
自分の甘さと早慶の現実を痛感しました。
でも、あの厳しいハイレベルな雰囲気が僕にはたまりませんでした(笑)
次の日、すぐに直前講習も○○先生の講座から変更しました。
あの5日間と2日間は藤沢に行くのが本当に楽しみで、
家では毎日親に「石黒いいわ~!!」と言ってました(笑)
ごめんなさい・・・。

少し自慢みたいになってしまうのですが
(偉人の方々にはまったく及びませんが)
あの時ちょうど僕は代ゼミの第2回早大プレで教育学部ですが
冊子に名前が載ったことでどこかでうぬぼれていました。
日本史も30位/332人と自分ではかなり満足していました。
しかし、石黒先生の授業を受けると、
早大プレ1位がいる、3位がいる・・・
という情報が次々と入ってきて、
いかに上には上がいるかを知ることができました。
もしあのままだったら、僕はずっとうぬぼれたままだったと思います。

僕は40面ノートは持っていないので、
冬期と直前の授業とプリントの内容を
すべて吸収するように努めました。
結果はセンターは満点、立教は全学部個別とも9割後半を出せ、
奨学金対象者に選ばれたのも確実に日本史のおかげでした。
早稲田も3学部とも8割前後(論述を除いて)と
それなりに満足のいく結果になりました。
もし石黒先生に出会っていなかったら、
政経で出た「エノケン」なんて絶対にわからなかっただろうし、
「あんなのできなくて当然だ」
などと負け惜しみを言いながら落ちていたと思います。

1月まで石黒先生の授業の素晴らしさを知らず、
1年間通して受けることができなかったのは本当に残念でした。
浪人したら絶対に日本史だけ早稲田予備校に通おうと決めていました。
でも1月からでも出会うことができて
本当に僕は幸せだったと思います。
ありがとうございました。(後略)

通年授業の受講生の中には、
何度も授業を受けているにもかかわらず、
僕のやり方にノってくれない人もいて、がっかりすることがあります。
その一方でI君のような人がいると、
自分で言うのもおこがましいですが、
「やっぱり頭のいい人はわかってくれるんだなぁ」と安心します。
踏ん切りのつかない人たちに、
一人でも多く気づいてもらえることを願います。