2月16日に行われた明治大商学部入試について、
質問メールをいただきました。
<Wさん>
以前質問させていただきましたWと申します。度々すみませんが、今日の明治の商学部の問題でいくつか質問させてください!
2.江戸には大名・旗本・御家人の屋敷が集中して多数の武家が住んだほか、多様な商人・職人が全国から集まり、日本最大の消費都市になった。18世紀前半の人口は計100万人前後に達したと推定される。居住地は身分によって区分され、台地には武家地、低地には町人地、周辺部には寺社地が配された。面積の内訳は武家地が70%、寺社地が15%、残りの15%の町人地に約【(1)10 (2)30 (3)50 (4)70 (5)90】万人の商人や職人が居住した。
武士が50万人だったと思い、(3)(4)(5)を消して(1)と(2)で悩んでしまいました;;
5.高度経済成長の時代、東京・大阪などの大都市圏では、農村からの大規模な人口流入によって都市問題が深刻化した。特に住宅不足、交通混雑、大気汚染などが大きな問題となった1955年に設立された【(5)】は住宅不足に対処するため、東京のひばりが丘団地や埼玉の草加松原団地など、大都市郊外を中心に大規模住宅団地の建設を進めた。
(5)が記述です。
3.1868年江戸は東京と改称され翌年には天皇が京都から東京に移った。1872年京橋・銀座・築地の約5000戸を焼失させた大火が発生すると、政府と東京府はこれを好機として「銀座煉瓦街」の建設を計画した。その内容は建物の不燃化(煉瓦造り)、幅の広い街路の建設、歩道と車道の分離、街路樹の設置であったが、1877年には完成し、洋風の街並みが誕生した。通りには【(3)】や人力車が走り、牛鍋屋が繁盛した。【(3)】の普及には幅の広い街路が必要であり、そのため東京では1888年に東京市区改正条例が公布され道路の拡幅を中心とする市区改正事業が始められた。しかし財源不足から事業は進まず、やがて【(3)】に代わる路面電車の時代を迎える
(3)が記述です。分からなくて馬車と書いてしまいましたが、調べてみたら”鉄道馬車”という単語を発見しました。鉄道馬車じゃないと不正解ですよね…;;
商の日本史は出来て当たり前と聞いたので、簡単な問題かも知れませんが…返信お願いします!
<石黒>
1つめは、(3)。
江戸の人口100万人から引き算するだけです。
2つめは、日本住宅公団。難問です。
3つめは、鉄道馬車でないと不正解です。
レールの上を走るのです。
今年は例年より難しかったようです。