東京女子大ちょっとだけ解答速報

入試問題に関する質問が相次いでいます。
今回は、東京女子大現代教養学部の問題です。

<Hさん>
河合塾町田校のHです。1学期は授業を受けていなかったのでやはり弱いです…。基礎的なことを聞くかもしれませんが、よろしくお願いします。東京女子大学現代教養学部の問題で、16世紀までの東アジアの国際秩序に対する日本国の関与についての穴埋め問題です。
『…その後(この前の部分では倭王武の説明がありました)、倭国は長きにわたり( ア )体制から離脱するが、( e )世紀最末年に皇帝への外交使節を久々に派遣した。この年に倭国は( ウ )攻撃の派遣軍を編成しており皇帝への遣使はこれと関わっていると考えられる。…( f )世紀に天皇が( エ )へ派遣した外交使節は皇帝の前で( ウ )の使節などと席順を争う立場であり、日本は( ア )体制の縁辺部に位置し続けていた。しかし( f )世紀中にはほぼ十数年ごとに派遣されていた( エ )への外交使節は( f )世紀後半の派遣の後、その次の派遣までに二十数年の間隔が空き、その( g )世紀初頭の派遣からはさらに三十数年の間隔が空いた後、同世紀末に60年ぶりに企画された派遣が中止されると以後は派遣が絶えた。( f )世紀後半の日本は( ア )体制に関与する必要を感じなくなっていたのである。』(ア)は冊封、(ウ)は新羅、(エ)は唐、だと思うのですが、(e)(f)(g)が分かりません。(f)は新羅と席を争ったといえば藤原清河の752年の遣使で8世紀が答えかな?と思いましたが、最後の一文で「必要を感じなくなった」とあるので、菅原道真の894年のことだと考えて9世紀が答えなのかな?とかなり悩みました。正解は何でしょうか?よろしくお願いします。

<石黒>
正解は、(ア)冊封 (ウ)新羅 (エ)唐 (e)6 (f)8 (g)9です。
「同世紀末に60年ぶりに企画された派遣が中止されると以後は派遣が絶えた」
という部分こそ、894年の話ですよ。
落ち着いて解いてください。
実に基礎的な内容です。