教室で生徒の顔を見ながら授業をしていると、
「そういうふうにとらえるべきだったのか!」
「なるほど! そうやって覚えればいいのか」
「そんなことまで出題されるのか!」
なんて思ってるような顔の人をよく見ます。
そういう人たちは、どこまで伸びるのか楽しみになります。
でも一方で、‘死んだ目の人’というと失礼ですが、
何も気づかない、もしかしたら気づきたくない顔の人たちもいます。
表情に出さないだけってこともあるのかもしれませんが、
こちらの人たちには、大変な不安を抱きます。
それが目につくと、どうしても勉強法の話が多くなるのです。
今年のワセヨビの高卒生に対しては、最初の2回の授業で、
相当な量のガイダンスをしました。
なので、今日までの段階で過去の勉強法から脱却できなかったら、
正直、キツイですね。
この時点で脱却できていない人には、これ以上しつこく言っても、
たぶん気づいてもらえないでしょうから。
次のチャンスはいつでしょうねえ?
過去問を解いたくらいでわかるとは思えません。
ワセヨビなら校内模試の順位表で、
周囲の生徒との落差を目の当たりにした時かもしれません。
さて、本題です。
気づき始めた人からのメールです。
この方は以前から、でるとこサイトやブログを見てくださっていた方で、
それゆえにスムーズに脱却できたのかもしれません。
<Iさん>
石黒先生、こんにちは。ワセヨビでお世話になっている、Iです。先生の授業を受けてまだ2回目ですが、思うことが沢山あって、メールさせていただきました。先生の授業を受けていると、自分は合格できなくて当然だった、と強く実感します。「なんであの子が合格で、私は不合格なの?」と思っていた自分が本当に恥ずかしいです。さっき、封印しておいた××のテキストを捨てました。使い込んだ一問一答も捨てました。一問一答を使い込んでいた自分がバカバカしいです。これじゃ、時期把握もできないはずですよね。先生が授業中に何度もおっしゃっている通り、時期を気にせず、ただひたすら用語を覚えていました。理解したフリを自分は繰り返していたのだと思います。また、志望大学の出題傾向も把握仕切れていませんでした。日本史に限らず英語や国語もそうです。先程、遺言を読み返していて、一番心に響いたのが、大濱峻さんの
基礎とは
×入門的で簡単なこと
○絶対に穴があってはいけないこと
という言葉でした。基礎という概念が180度変わりました。基礎を甘く見ずに、謙虚な姿勢で、再スタート、いや、再再スタートを切ろうと思います。お忙しい中、失礼しました。これから1年間、どうぞよろしくお願いします。
P.S 今日からしゃべり勉強始めました。
<石黒>
まずは‘しゃべり勉強デヴュー’おめでとうございます。
そして、だいぶわかってきたみたいで良かったです。
恥ずかしくなったってのは笑えました。
自分のバカさ、さらに自惚れっぷりに気づくと恥ずかしいですよね?
そして、これからはノートをそのまま覚えることで、
時期は自然に覚えられるでしょう。それが40面ノートの長所です。
そして大濱君の姿勢には学ぶべきところがたくさんあると思います。
どこまでノーミスにできるかは、
入試本番まで考え続けることになるでしょうね。
ちなみに、その後のIさんから返信がありました。
<Iさん>
(前略)先日、法政の過去問を、古代のところだけ解いてみたんです。それが出来すぎてびっくりしました!40面ノートのすごさを実感しました。ノートがパッと頭に浮かぶんです。自分で自分に驚きました(笑)過去問を解くのが、こんなに面白く感じたのは初めてです。ワセヨビに来て、大正解でした!(中略)日本史にはあまり時間をかけてないはずなのに、これだけできてしまうのには驚きました(笑)
これからが実に楽しみですね。