2003年早稲田大学社会科学部の問題

乙巳の変に始まる律令国家建設過程については、
できごとの推移を正しくつかんでいない受験生が多いです。
このあたりの時代を履修している段階では、
入試で‘できごとの時期’がよく問題にされるということが、
イマイチわからないのかもしれませんね。
高卒生でもそこが弱点になっている人は多いです。
要するに、まだ去年の学習姿勢から脱却できていないわけです。
流れをつかんで学習してくださいね。

さて、ここで問題です。

次の文章を読み、下線の年(編注:「大敗した翌年」を指す)のできごとを選べ。
大宰府政庁が現在の地に設けられたのは、朝鮮半島に出兵した日本軍が白村江の戦いで唐・新羅連合水軍に大敗した翌年の頃と推定される。この年は政庁の北西に( A )を築くなどの大土木工事も起こされ、庶民の負担は大きかった。大宰府は本来軍政府を意味したが、のちに官人機構も整備され、帥・弐・監・典の四等官制をしき、別に防人司をおいた。10世紀には防人の制は有名無実となり、大陸からの使臣の往来は絶えたため、外国商人の貿易管理が主要な政務となった。古文書や遺跡発掘から、壮大な政庁に相応しい都市区画、すなわち( B )が実施されたと推定されている。

イ 京を飛鳥の地から近江国大津に遷した。
ロ 大和に高安城、対馬に金田城などを構築した。
ハ 冠位26階の制をつくり、民部・家部を定めた。
ニ 部曲を廃止した。
ホ 初めて戸籍を作成した。


<Aさん>
以前一度質問させていただいた、福井のAと申します。今は赤本や、日本史事始を中心に勉強しています。赤本のことで質問なのですが、2003年社学の大問1の問4(白村江の戦いの翌年の出来事)の問題で
イ 京を飛鳥の地から近江国大津に遷した。
ロ 大和に高安城、対馬に金田城などを構築した。
ハ 冠位26階の制をつくり、民部・家部を定めた。
ニ 部曲を廃止した。
ホ 初めて戸籍を作成した。

まずイとホを消し、ロとハについては全然知らず、ニを選んだんですが、答はハとなっていて、選んだニは675年の出来事だと書いてありました。しかし、部曲の廃止は公地公民制の時に行われたのではないのでしょうか?解説でも消化できず質問させていただきました。

もうひとつ質問があるのですが、模試と赤本と問題集のわからなかった問題の解説等は、時代別にして(1)冊にまとめておくべきでしょうか?初歩的な質問で申し訳ありません。

<石黒>
その問題はロ・ハで悩まされるなかなか難しい問題です。
2択まで絞り込んで、後は運を天に任せてください。
ところで、「部曲の廃止」は天武天皇の時ですよ。
年代は覚える必要ありませんが、
壬申の乱の意義ともあいまって基本的事項と言えます。
『読むだけ日本史(1)』にも書いてあります。

多くの受験生の盲点になっているようですが、
改新の詔はあくまでも方針ですよ。
そこで定めたことがすぐに実施されたわけではありません。

模試や過去問の問題・解説をコレクションするのは、
単なる趣味でしかありません
それより、日本史学習のモトとなっているものに、
ポイントだけを書き写して、それを覚えるようにしてください。
この質問から予想すると、
A君はもう少し深い理解を心がける必要があると思われます。
できるだけ多くの問題にあたって、
リード文などから吸収していってください。
derutoko.com教材の解説文などはよーく理解してくださいね。

しつこいようですが、言いますね。
単に一問一答形式で用語を覚えいていくだけでは、
‘できごとの時期’は頭に入りにくいですよ。
先日も藤沢でZ会の一問一答集を持って質問にきた
非受講生がいました。
出題データにもとづいて作成されているとのふれこみですが、
そのわりに△△は載っていませんでした。
なぜなのか非常に疑問です。
これ以上は差し障りがありそうなので、つっこむのはやめます。