国書の差出人は、建文帝? それとも永楽帝?

河合塾の生徒から、史料について質問を受けました。河合では時間に余裕がなく説明する機会がありませんが、ワセヨビの夏期講習「早慶難関大の日本史」では、解説していた内容です。

<Yさん>
(前略)本日受けた代ゼミの早稲田模試で善隣国宝記の史料問題で義満からの国書の返書をした人を問う問題が出て、ぼくは永楽帝を答えたのですが正解は建文帝でした。しかし読むだけ日本史の105ページには永楽帝が返書をしたと書いてあります。どちらが正しいですか?

<石黒>
1402年の明からの返書の史料でしたら、正確な事情はこうです。
史料の時点では明の皇帝は建文帝でしたが、返書を持参した明使の日本滞在中に、明で永楽帝が即位しました。ゆえに、1403年に義満が「日本国王臣源」と書いた文書を送ると、翌年、永楽帝から「日本国王之印」と陽刻された金印と勘合100枚がもたらされました。こうして義満は、永楽帝によって日本国王に封ぜられました。

どの時点の皇帝が問われているかで、解答が変わってきます。通常授業や『読むだけ日本史(1)』では簡略化して説明していますが、早大入試の場合は細かい知識が必要になることもあります。実際の問題文を見ないと、正確な解答は何とも言えませんが、建文帝が正解の可能性が高そうですね。

<Yさん>
問題は「日本准三后」と書かれた国書の返書の史料の中の「朕」に線が引かれてこれは誰かという問題だったので建文帝だと納得しました。ありがとうございました。

こうした細かい内容について触れる機会のない河合塾生には、ぜひ12月の「日本史道場」で、難関大受験のための鍛錬を受けてもらいたいと思います。残席わずかとなってきましたので、検討されている方はお早めにお申し込みください。

石黒の日本史道場

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