正誤問題を解くコツ

正誤問題は選択肢を比較して解くものです。あまりにも細かいところにツッコミを入れて、逆に大きな誤りを見過ごしてしまうと正解できないからです。たとえば、次の文の正誤判別をしてみてください。

 592年に蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺した。

これは厳密に言えば誤文です。実は、本当に手を下したのは馬子ではなく、東漢直駒という人物だからです。しかし、ふつうの入試ではこれを正文として出題しています。大雑把にとらえれば正しいことだからです。こういう正誤の判別に悩む選択肢がきたら、他の選択肢と比較して、より大きい誤りがないか探さなければなりません。選択肢の誤り度合いを見くらべるわけです。そのためには物事の重要度がわかっていなければなりませんね。用語の単純暗記勉強とはほど遠い世界です。正誤問題が苦手な人には、問題解説授業を受けてもらいたいところです。「日本史道場」や講習の早慶大向け講座をお勧めします。

ところで、その正誤問題の質問がありました。2009年早稲田大学商学部の問題です。まず、その問題を解いてみてください。

問 政体書に関する次の記述のうち,誤っているものを2つマークせよ。
1.副島種臣と福岡孝弟とが起草に従事した。
2.イギリスの制度にならって,天皇が政治に介入しないようにした。
3.三権分立制を導入して,太政官への権力集中をさけた。
4.高級官吏は互選で4年交代とした。
5.あまりにも西洋的であったため,版籍奉還の際に大宝令を模した制度に戻された。

※念のため付け加えますが、これは2つ合っててようやく1点の問題です。部分点はありません。

<Hさん>
いつもお世話になっています。ところで山登りお疲れ様でした。無事で何よりです。先生が夏期講習においてこんな自分のことを紹介して下さったそうで、顔も知らない同級生が自分のことを気にかけているという噂を聞きました!大変ありがたいことです。(因みに日本史道場の反省としてその後すぐ丸坊主にいたしました…五厘です(笑))
前置きが長くて申し訳ありません。過去問について疑問がわいたのですが、2009年度早稲田大学商学部大問4[B]の問題です。
政体書についての問題なのですが、自分の解答は2・3であっていたのですが、3については、「三権分立制を模倣したはしたが日本においては確立しなかったなかなぁ」という疑問、5については「太政官制は版籍奉還に際し二官六省という仕組みに変更はされたが、“あまりにも西洋的だから”大宝令官制にしたのかなぁ」という疑問が残りました。自分の理解度が浅い故の質問であったら申し訳ございません。時間に余裕がつき次第お答えください。

<石黒>
丸坊主、しかも五厘とは笑いました。僕が通っていた中学は坊主にしなければならなかったのでよくわかるのですが、みずから進んで坊主にするというのはすごいですね。さすがです。

さて質問に答えます。3は確かに三権分立が確立したとは思えませんが、「太政官への権力集中を‘さけた’」というのは誤りでしょう。むしろそちらにツッコミを入れてください。つまりそれだけ「政体書は太政官への権力集中をはかった」ことが重要だってことです。一方、5の「あまりにも西洋的であったため」というところがひっかかりますが、それ以外は正しいと判別できるでしょう。そう考えた上で3と5を比較すれば、誤文なのは3の方だろうと推測できるはずです。

<Hさん>
ご返答くださりありがとうございます。そうですよね。文の一部は?でも、他の選択肢との比較や明らかな誤りから答えは導けますよね。しかしこれに気づけたのも“しゃべり”の部分をしっかりと吸収できたからだと思います!1学期以上に近現代は問題演習に力を入れようと思い、ノートの大枠を頭に入れ次第既習範囲の過去問にどんどんチャレンジしているんですが、先生のおっしゃったことがリード文に見受けられたり、また解答へ至るプロセスの一助となるときの“キター!”を経験することが次第に増えていっています。この感覚を大事にし、これからもノート覚え諸々励んでいきますのでまたどうか何卒お願い申し上げます。
髪のセットに時間をかけてる人には絶対負けません(笑)

髪のセット……。笑えます。確かに時間ゼロですからね。