明治大ちょっとだけ解答速報

明治大学情報コミュニケーション学部の問題で、
またまた質問メールをいただきました。
ちょっと作問水準に首をかしげたくなる問題です。

<Wさん>
以前BLOGに掲載していただきましたWと申します。明治の情コミの入試問題について質問させてください!
問 ウ(室町時代の社会構造の特質)の説明として正しいものはどれか
(1)荘園領主の多くは京都に居住しており年貢などの農作物は街道などにより京都に輸送されていた
(2)勘合貿易の展開によって中国から大量の生糸が輸入されたため盛んであった国内での現金収入の途が閉ざされていた
(3)貨幣経済は農村にも浸透し借財を負った農民たちが都市に居住する借上を襲撃する強訴が多く発生した
(4)守護大名とその家臣は地方城下町に集住していたため、年貢などの農作物は城下町に集中し、六斎市で売買されていた
消去法で深く考えずに(4)にしてしまいましたが、違っているように思えてきました;;あともう一つは
問 カ(戦後恐慌)が始まった時の政府与党の名称を漢字3文字で記入しなさい
戦後恐慌は1920年~だったよな~立憲政友会?と思いつつ3文字なので憲政会?と思ってしまいました。。政友会という書き方で良かったのでしょうか?自己採点ではこの二つをミスしても8割後半は取れたと思いますが…。お忙しいかと思いますが返信よろしくお願いします。

<石黒>
1つめの問題は(1)のはずです。
(1)は「多くは京都に居住」という部分が気になるのですが、
(4)は誤りが何カ所かあります。
守護大名は原則的に在京しているのと、
家臣の城下町集住は、
「朝倉孝景条々」で規定されたことが
意義深いことからもわかるとおり、戦国時代のことです。
これこそ消去してほしい内容ですね。

2つめはもちろん政友会です。
正式名称は立憲政友会ですが、
5文字と指定してしまうと、
政党が特定しやすくなるのを嫌ったのでしょう。
ちょっとあざとい出題方法ですね。
迷わせるなら単純に選択問題にすればいいのですから。
作問者のお里が知れます。
しかし、受験生がその上をいくべきだということは、
先日の作問ミスのブログエントリーにも書いたとおりです。
自分の記憶に自信を持って解答してください。

<Wさん>
丁寧な返信ありがとうございます!まだ1つしか受験していないので、今後の受験に生かして行きたいと思います。あともう一つだけ質問させてください!
ア(1900~1922)に示す期間の教育に関する事柄で正しいものを選べ
(1)この期間に義務教育の年限が6年から8年に延長された
(2)京都帝国大学の設立に対応して東京大学が東京帝国大学と改称された
(3)森有礼文部大臣の元でいわゆる学校令が交付され各種の学校体系が整備された
(4)専門学校として位置付けられていた明治大学が正式に大学として認可された
時期的に消去法で(4)にしてしまいました…(1)の6年から8年は聞いた事が無かったので…(4)は明治大学→明治法律学校とすべきだったのでしょうか?

<石黒>
正解は(4)であってます。
ただし大学令のことを考えたほうがいいですよ。
大学令は1918年に出されていましたよね?
それを考えれば、(4)は正文に見えてくるかと思います。