今年のワセヨビは、2学期の授業が8月30日には始まるため、
あっという間に休みが終わりそうな気がしています。
そんな中でまた尾瀬に行ってきます。
毎年もう少し本格的な山登りをしたいと思いつつも、
夏期講習で疲れ果ててしまってなかなかできません。
さて、そのワセヨビの「早慶難関大の日本史」を受講した方から、
こんな感想と質問をいただきました。
それを紹介する前に、そのテキストの付録である
「MARCH学習院セレクション」の問題を抜粋します。
先に解いてみてください。
2003年明治大政治経済学部の問題です。
設問 次のイ~ニは聖武天皇の治世に起こったことがらである。これを古い順に並べ替えると,A~Eで正しいものはどれか。正しい答えをひとつ選び,その記号をマークしなさい。
イ 墾田永年私財法制定 ロ 長屋王の変
ハ 平城京への遷都 ニ 国分寺・国分尼寺建立の詔の発布
A ニ─ハ─ロ─イ B イ─ニ─ロ─ハ C ロ─ハ─ニ─イ
D ハ─ロ─ニ─イ E ロ─ニ─イ─ハ
<Kさん>
講習ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。(中略)なんとか授業についていけましたが、過去のシビアな合格ラインを見せ付けられたのと、解答へのプロセス、偉人の方達の推測方法など、正解不正解以外の面で自分はまだまだ甘いと感じました。無駄話をしてすいませんでした。今日メールをしたのはMARCH学習院セレクションの問11の4(編注:上記の問題です)の解答がEになっているのですが答えはDじゃないでしょうか? ハは平安京ではなく平城京なので。すでに訂正がある箇所だったらすいません(;_;)
このブログをお読みのみなさんのほとんどは、
携帯かPCのモニタで見ながら問題を解いたかと思います。
そうするとひっかかりやすかったかもしれませんね。
設問に「聖武天皇の治世」とあるのです。
本番の入試ではそこにアンダーラインなど引きながら解くべきでしょう。
また、イ~ニの用語に単純に年代を書いて解くのではなく、
通年授業の受講生なら40面ノートを思い描きながら解くべきでしょう。
そうすれば「平城京への遷都」というのが、
恭仁京→難波宮→紫香楽宮→平城京
の平城京遷都だと気づくはずです。
他にはこんな考え方もできるでしょう。
墾田永年私財法が出されたのは大仏造立の詔と同じ743年でした。
そして、大仏造立の詔は紫香楽宮で出されましたが、
その時点で紫香楽宮はまだ正式な都ではなく、都は恭仁京でしたね?
このことは1994年立教大法学部で出題されていましたよ。
ってことは、大仏造立の詔の後に難波宮、紫香楽宮と遷って、
ようやく平城京にもどったんだとわかります。
すなわち墾田永年私財法より平城京遷都は後のできごとってことです。
何が言いたいのかというと、
平城京にもどった年代を覚えていなくても、
大仏造立の詔と関連づけて考えれば、順序はわかるのです。
だからこそ通年授業ではその年代「745年」を、
「めったに出ないから覚えなくてもいい」と言っているのです。
ノートに×か△を書き込んだでしょうか?
というわけで、正解は模範解答通りEでした。
その後、聞いたところK君は「聖武天皇の治世」という部分に、
下線を引いていなかったようです。
厳しい言い方ですが、
‘ノーミス’にはまだまだ遠い問題の解き方だと思います。
無邪気に自分の解答が正解だと思ってしまうところにも、
失点の多い原因が見えかくれしている気がします。
もっとも僕自身も間違えることはありますので、
出版物などで疑問を感じるところがあったら、
遠慮なくご連絡してくださると助かります。