明治大を受験したみなさん、
日本史はかなり高得点が出せる問題だったようですね。
三木武夫は日本史ではなく英語で出たんだそうで、
笑えたでしょうか?
ここで1問だけ解答速報をお伝えします。
<Kさん>
南浦和のKです。明治全学部で正誤の中に井真成でてきましたよ!そこで確認を取りたいのですが、大問1で〔ア〕遣唐使に下線があり、次のA~Dで正しいものを選べで、
A 遣唐使船は始めは北路を利用してたが、やがて航海技術の発達により南島路や南路が利用されるようになった。
B 遣唐使の廃止を建議した菅原道真は右大臣にまでなったものの、901年、藤原時平のぼう(ざんぼうりつの字です)言により太宰権帥に左遷された。
C 近年、中国・西安で確認された木簡に名前と事績が記されていた「井真成」も、遣唐使として入唐しながら故国に帰ることなく死去した日本人の一人と考えられている。
D 遣唐使廃止後、両国の政治的緊張が高まり、やがて民間レベルの私的交渉まで衰退することになった。
ぼう言が少し気になりましたが、Bを即答しました。それで時間が余って確認したんですが!
Aは航海技術の発達によりが。Cは遣唐使ではなく、遣唐留学生として。Dは民間レベルの交渉までってのが違うと思ったのですが!とくにCについて解説お願いします。簡単なところですいません。
<石黒>
一発で正文を選べる問題ではありますが、
そろそろ本当に
井真成を覚えておかないと解けない問題が来そうですね。
そして、Cは確かに遣唐使ではないという誤りもありますが、
それよりも木簡ではなく墓誌であったことが大きな誤りです。
墓誌は資料集などの写真を見るとよくわかるはずです。
こちらにもあります。
ついでにですが、「藤原時平のぼう言」ではなく、
讒言(ざんげん)ですよね?
また、「太宰権帥」の誤字はわかってますよね?
津田塾を受験した方からもメールをいただいています。
<Mさん>
今日は津田塾の国際関係を受けてきました。そしたらかなり的中していてびっくり…とゆうか嬉しくてメールしちゃいました☆(もう知ってるかもしれないですが)太平洋戦争の時の沖縄での死者数とかありました(゜∀゜) それではこのあとの日程も頑張ります!
<石黒>
それはイイ問題でしたね。津田塾は戦後が好きですからね。
戦後の外交史は何度も論述で出てましたし。
まだ試験が続くと思うので、次に備えてください。