2015年明治大情報コミュニケーション学部(2/8)ちょっとだけ解答速報

<Yさん>
こんにちは、お忙しい中失礼します。どうしても悩んだ問題があるので質問させてください…!

誤ったものの選択で、
1.海賊取締令を発令し,倭寇を取り締まるとともに,豪商たちの私貿易を奨励した。
2.ゴアのポルトガル政庁,マニラのスペイン政庁,台湾などに入貢を求めた。
3.島津家久の琉球侵攻を追認し,琉球でも検地を実施した。
4.明への先導役と,入貢を拒否した朝鮮に対して,二度にわたる出兵を行った。

試験当日は、海賊取締令で私貿易を禁止で、豪商たちの貿易を奨励、のところで即バツをつけました。しかし復習していると、2のマニラのスペイン政庁にも入貢を求めた?(ノートにイスパニア政庁とメモがありましたが、マニラなのかは残っておらず…)問題文では、豊臣秀吉は,「(下線)新しい国際秩序の構築」を企図した。…となっており、豊臣秀吉は下線は引かれていないけど、3は秀吉の時期ではない?と考え出すと答えがわからず、1が正解なのかも自信がもてなくなってきました…。
文章がわかりづらくて申し訳ありませんが、お答えいただけるとうれしいです!

<石黒>
単純な問題です。島津家久の琉球征討は1609年で江戸時代のことで、秀吉の政策ではありません。ゆえに正解は3です。授業でも何度も言ってましたが、時期誤り正誤問題が非常に多いので、ノートの位置を思い出して解きましょう。ちなみに、バテレン追放令でも貿易を奨励していたことを考えると、海賊取締令でも同じだと推測できます。また、マニラはイスパニアの拠点となっていましたから、それも正文と推測しましょう。メモが残っていないのが残念ですが、これもまた話していた内容です。

でる日講義-経済・外交史(前近代)-

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